同じ配色の国旗、その理由は?
世界の国旗の中には、似ている配色のグループがあります。なぜ同じ配色になっているのでしょう。この記事では、汎スラブ色、汎アフリカ色、汎アラブ色と呼ばれている3つの配色を、それぞれ紐解いていきます。
汎スラブ色
汎スラブ色は、スラブ民族の共通の起源を表す、赤・青・白の配色のこと。
ヨーロッパの人々は、ゲルマン民族・スラブ民族・ラテン民族の3つに大きく分けられます。5世紀に起こった民族大移動 で、スラブ人(スラブ民族)は周辺諸国に移り住みました。この大移動でヨーロッパは大きく変わり、古代から中世に入っていきます。
後の19世紀、革命・反乱の嵐が吹き荒れるヨーロッパで、スラブ語を話すすべての民族の連帯と統一をめざす思想運動が起こりました。そして、スラブ系民族の連携を図るために、スラブ会議なるものが開かれました。そのときに決まったのがこの、汎スラブ色。( 汎スラブは、パン=スラブとも言います )元になったのはロシアの国旗です。
汎スラブ色は、19世紀ヨーロッパで起こった汎スラブ運動に採用されました。ソ連が誕生した後、汎スラブ主義は名実ともになくなりましたが、今でも、この三色はヨーロッパで独立を果たした国の国旗で見ることができます。
汎アフリカ色
汎アフリカ色は、アフリカ諸国の国旗で使われている、赤・黄・緑(黒)の配色。
赤は殉教のために流された血、緑はアフリカの植物や農作物、黄はアフリカの富と繁栄をあらわしています。最初に、エチオピアがこの配色を使っていました。
アフリカで唯一、植民地支配を逃れたエチオピア帝国の色。後に独立を勝ち取ったアフリカの国々は、エチオピアの強さにあやかり、この配色を取り入れたというわけです。(エチオピアはその後の1936年、ムッソリーニによってイタリアに併合されましたが、1941年に独立を回復しました。)
汎アラブ色
汎アラブ色は、アラブ諸国の国旗で使われている、赤・黒・白と緑の配色です。
各色はイスラム帝国歴代の王朝をあらわしています。アラブ反乱で使われた旗が元になり、アラブ人解放のシンボルカラーになりました。有名な『アラビアのロレンス』は、このアラブ反乱を描いた映画です。
そして、アラブ人解放のシンボルカラーとなった汎アラブ色は、後に独立したアラブの国の国旗に採用されるようになりました。
※劇中にはこの反乱旗ではなく、赤・黒・白など、それぞれ単色の旗が使われています。
ここまで、世界の国旗の3つの配色を見てきました。
多くの国が、他国の独立や革命・反乱に関する旗を踏襲しています。色で他国への敬意やあこがれを表現することも、国旗のデザインでよく見られる特徴のひとつです。
映画で学ぶ世界の歴史
アラビアのロレンス
アラビアのロレンス (字幕版)
1914年、アラビアはドイツの同盟国トルコ帝国の圧政下にあった。イギリス陸軍カイロ司令部のロレンス少尉は、トルコからの独立を目指す反乱軍の指導者ファイサルに会うため旅に出る。反乱軍の無力さを目の当たりにしたロレンスは、アラビア民族をまとめあげてゲリラ戦を展開し、見事トルコ軍を打ち破る。その後も次々と勝利を収めていくが、その一方でロレンスはアラブ人同士の争いや国同士の政治的駆け引きに翻弄されるようになっていく―。
アラブ民族独立に尽力した実在のイギリス陸軍将校T・E・ロレンスの波乱に満ちた半生を壮大なスケールで描いた不朽の名作。
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