同じ配色の国旗、その理由は?ラテンアメリカ編
「同じ配色の国旗、その理由は?」では、国旗によく使われる配色について紹介しました。この記事では、ラテンアメリカ諸国の国旗に使われている、3つの同じ配色について紐解いていきます。
コロンブスがアメリカ大陸を"発見"して以来、ラテンアメリカはヨーロッパ列強国の植民地となっていました。そして19世紀初頭、ブラジルを除く南米のほぼ全域を支配していたのはスペインでした。
しかし、フランスに登場した皇帝ナポレオンがヨーロッパ征服戦争(ナポレオン戦争)をはじめたことで変化が訪れます。スペインでは、ナポレオンの侵攻が激しさを増すにつれて、植民地を統治する力が弱まっていきました。
かねてから、「この地は、宗主国の支配を脱して独立するべきだ」と考えていた解放運動の指導者たち。「今こそ独立のチャンスだ!」と、満を持したように各地で独立運動が起こりました。この、独立戦争を率いた英雄たちの活躍によって、ラテンアメリカの国々は次々と独立を果たしました。彼らはリベルタドーレスと呼ばれ、今でも英雄として讃えられています。
実はこの記事で紹介する配色の背景にも、彼らが大いに関わっているんです。では順に見ていきましょう。
「ミランダ旗」の、黄・青・赤の配色
コロンビア、ベネズエラ、エクアドルの国旗には、黄・青・赤の配色が使われています。なぜ同じ配色なのかというと、この3国は、以前は同じひとつの国、グラン・コロンビア共和国を形成していたからです。
原型となったミランダ旗は、独立運動を指揮したフランシスコ・デ・ミランダという革命家が考案したものです。
ミランダ将軍は、志半ばにしてスペインに捕らえられ死去しましたが、その後、南米独立指導者の英雄として名高いシモン・ボリバルが、ベネズエラの独立運動を指揮し、さらにコロンビア、エクアドルを支援して独立を勝ち取ります。
1819年、シモン・ボリバルはグラン・コロンビア共和国を樹立し、初代大統領になりました。
結局グラン・コロンビア共和国は数年で解体し、ボリバルも結核のため1830年にその生涯を閉じましたが、今でも南米解放の父として讃えられ、ベネズエラ(ベネズエラ・ボリバル共和国)やボリビアの国名には彼の名が刻まれています。
実は、ミランダ旗の配色は、かの有名な詩人であり哲学者、ゲーテとの出会いによって生まれたものでした。ゲーテはミランダ将軍に、自身の提唱する「原色の原理」を説き、こう伝えたそうです。「あなたの運命は、あなたの土地に原色が歪まない場所を作ることです」と。
つまり、ミランダ旗の黄・青・赤の配色の由来は、元を辿るとゲーテの色彩理論からだったのです。(ゲーテは、青・赤・黄を「色の三原色」とした。)これはミランダ将軍が、3つの原色が持つ強さにインスピレーションを得てこの配色を掲げたことがわかる興味深いエピソードです。
ゲーテの色彩調和論
色彩科学には、2つの大きな潮流があります。ひとつはニュートンによる「光の科学」に基づく研究。もうひとつはゲーテによる「色彩の生理・心理」に基づく研究です。
光学的に色を分析したニュートンに対し、詩人として知られるゲーテは、近代科学の機械論的世界観に危機感を抱いていました。色彩が、屈折率という数量的な性質に還元されて理解されることを否としたのです。そして闇や暗さ、人間の感情など生理学、心理学的視点から色の研究をしました。
アルゼンチンの国旗に由来する、青・白・青の配色
ラテンアメリカの多くの国が、青(水色)・白・青(水色)の配色を採用しています。最初にできたのはアルゼンチンの国旗です。
アルゼンチンの独立戦争で有名なのが、「南の英雄」として知られるサン・マルティンです。
国旗の原型は、サン・マルティンと共に革命軍を指揮したマヌエル・ベルグラーノという人物が作った旗でした。彼は、スペイン軍と戦った時、両軍の旗が同じ色(スペインの国旗🇪🇸に見られる赤と黄色)であることに気付きます。そして戦いの後、過去にイギリス軍を撃退したときに義勇軍が付けていた花型帽章の色と同じ、水色と白の旗を作りました。
独立後、アルゼンチンは、隣国ウルグアイの独立運動を支援しました。独立したウルグアイは、敬意と感謝の気持ちをあらわし、アルゼンチン旗をモデルにして自国の国旗🇺🇾をデザインしました。(同時に、アメリカの星条旗からの影響も見られます。)
また、中央アメリカにはかつて「中央アメリカ連邦共和国」という国がありました。この国の国旗も、アルゼンチンの国旗の配色にならったものでした。内戦で崩壊し、今では別々の国になってしまいましたが、それでも連邦を構成していた国々(グアテマラ🇬🇹、エルサルバドル🇸🇻、ホンジュラス🇭🇳、ニカラグア🇳🇮、コスタリカ🇨🇷)は当時の旗のデザインを少しずつ残しています。
アメリカ、フランスの国旗に由来する、青・白・赤の配色
18世紀の後半に起きた、アメリカ独立戦争、フランス革命は、「人間の自由と平等の概念」はもちろんのこと、独立したラテンアメリカ諸国の国旗のデザインにも大きな影響を与えました。
これらのほとんどの国が、アメリカやフランスの旗を手本にしたり、敬意を払って配色を踏襲しています。(パナマ🇵🇦、キューバ🇨🇺、チリ🇨🇱、パラグアイ🇵🇾、コスタリカ🇨🇷)
でもハイチだけは、宗主国フランスの国旗の配色を、いわば逆手に取る意味で使っているんです。
ハイチ反乱軍の指導者として活躍したのが、黒人のトゥサン・ルヴェルチュール。革命介入のためにハイチを攻撃しに来たイギリス軍と戦い、これを撃退。そしてハイチは、世界初の黒人国家としてフランスから独立しました。
そんな輝かしい歴史を持つハイチの国旗は、白人支配からの脱却と自由を願って、トリコロール(三色旗)の配色から白人を連想する「白」を取り除いて作られました。
さて。ここまで、ラテンアメリカで使われている同じ配色の国旗について見てきました。
ラテンアメリカの多くの国では、シモン・ボリバルやサン・マルティンなど、独立を率いたリベルタドーレスの銅像が建てられています。彼らの活躍は映画や書籍にもなっていますので、興味がある方は是非ご覧になってみてください。
映画で学ぶ世界の歴史
リベレイター 南米一の英雄 シモン・ボリバル
リベレイター 南米一の英雄 シモン・ボリバル (字幕版)
1783年、南米大陸でも屈指の名家に生まれたボリバル。高等な教育を受け、知識と聡明さを身につけたボリバルは、愛する妻と仲睦まじく暮らしていた。しかし妻が黄熱病に倒れ命を落としてしまう。ボリバルは喪失感を胸に、軍隊にのめりこんでいく。果てしなく続く戦いに目的を見失った彼を、再び立ち上がらせたのは民衆たちだった―。
当時の時代背景、ボリバルの英雄ぶりが理解できるのはもちろん、作中にはミランダ旗も度々登場する。
©2013 SAN MATEO FILMS S.L., PRODUCCIONES INSURGENTES C.A.