ウルグアイ
国旗のデザインの意味と由来
青は自由と正義、白は平和をあらわし、9本の横縞は独立当時の9つの地方をあらわします。カントン部分にある16の光線を放つ顔のついた太陽は、アルゼンチンの国旗🇦🇷と同じく「五月の太陽」と呼ばれ、インカ帝国を象徴するもの。
1828年、ウルグアイはブラジルからの分離独立を果たしました。この独立運動の指導者ホセ・アルティガス将軍は、独立運動を支援してくれたアルゼンチンに敬意と感謝の気持ちをあらわすために、アルゼンチンの国旗をモデルにしてこのデザインを創案したといいます。また同時に、イギリスとの独立戦争に勝利したアメリカ国旗の強い影響もありました。
ウルグアイの国名について
国土を流れるウルグアイ川に由来。インディオの言葉で「ウル(曲がりくねった)」と「グア(川)」を意味する。また「数多くの急流」「美しいまだら色のウル鳥がたくさん飛んでいる川」という説もある。
ウルグアイの国旗の歴史
この地域には、狩猟民・採集民が先住していました。16世紀以降、スペインとポルトガルが領土をめぐって争いましたが、最終的にスペインの植民地となります。植民地化によって先住民族が絶滅したため、他の中南米の国々にみられるような先住民独特の文化は残っていません。
19世紀のはじめには国境を接するアルゼンチンとブラジルがそれぞれ独立し、ウルグアイ地方の領有をめぐって対立していました。ウルグアイ人たちは武力でアルゼンチン(ラ・プラタ連合州)への併合を宣言しましたが、ブラジルはこれを認めませんでした。両国は3年にわたり交戦状態に…。
そして1828年、イギリスの仲介により、アルゼンチンとブラジルとの間でモンテビデオ条約が結ばれ、ウルグアイは緩衝国(大国と大国の間にあり、大国同士の衝突を防ぐ役割を果たしている国)として独立を達成。1830年には現在の国旗と似た(青白の縞が19本あり、今より細かいストライプだった)国旗が制定され、1930年に現在の形に改定されました。
ウルグアイでは国会や国家行事の際、3つの旗が掲げられます。ウルグアイ国旗の他に「アルティガスの旗」「33人の東方人の旗」と呼ばれている旗です。
アルティガスの旗
この旗は、1813年〜1815年の独立戦争のときに掲げられた旗で「パトリア・ビエハ(古き故国)」とも呼ばれています。独立運動指導者のホセ・アルティガス将軍が考案した旗で、青はアルゼンチンの国旗から、赤い斜めの帯は、ウルグアイ川東岸の血を意味したといいます。
ホセ・アルティガス将軍は、スペイン軍の大尉を経て、1811年にウルグアイの住民を率いてスペイン、ポルトガルからの独立運動を指導した人物。民衆の支持と自らの信念のもと革命運動の指導者となり、瞬く間にアメリカ大陸の偉大な政治家のひとりとして認知されるようになりました。一時国土を解放したものの奪還され、志半ばでパラグアイに亡命。ウルグアイ建国の父として知られています。
(またこの旗は、東方州と連邦同盟の旗でもあり、現在のエントレ・リオス州の旗ともほぼ同じです)
33人の東方人の旗
「33人の東方人」とは、ホセ・アルティガス将軍の副官だった、ラバジェハ将軍に率いられたウルグアイ人の一団です。(東方とはウルグアイ川の東方、バンダ・オリエンタルを意味します)
ラバジェハ将軍は、アルゼンチンに亡命していた33名のウルグアイ人とともに「自由か死か(Libertad o Muerte)」と書かれたこの旗を掲げ、ブラジル相手に二度目の独立戦争を開始します。1825年、ブラジルに占領されていたモンテビデオを奪回し、ついに独立を宣言。1828年のモンテビデオ条約によりウルグアイの独立が決まりました。
「自由か死か(Libertad o Muerte)」。この言葉は現在もウルグアイの国の標語になっています。
ウルグアイの国データ
正式名称 | ウルグアイ東方共和国 |
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英語表記 | Oriental Republic of Uruguay |
漢字表記 | 宇柳具 |
首都 | モンテビデオ |
略号 | URY |
面積 | 17万6000㎢(日本の約半分) |
人口 | 345万人 |
通貨 | ペソ |
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言語 | スペイン語 |
民族 | 欧州系、欧州系と先住民の混血、アフリカ系 |
宗教 | キリスト教(カトリック)など |
独立年 | 1828年にブラジルから独立 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 356人 |