ペルー
国旗のデザインの意味と由来
この旗の原型を作ったのは、南米の独立運動を指導した英雄、サン・マルティン将軍。言い伝えによると、リマ南方のビスコ湾に上陸したサン・マルティンが、赤い翼に白い胸をした幸運の象徴フラミンゴの群を見て、「赤と白が解放者の色になるだろう」と、対角線で二分した赤白二色の旗を作成したことに由来します。
また赤と白は、インカ帝国の伝統色ともいわれています。
赤は勇気と愛国心、白は平和をあらわします。中央の紋章には国章の一部が使われていて、リボンで結ばれた椰子の枝(左)と、月桂樹のリース(右)、盾の中には国の資源を象徴するビクーニャ、キナの木、豊穣の角から溢れる金貨が描かれています。※民用旗では中央の紋章は省かれます。
ビクーニャは、ペルーなどに生息するラクダ科の動物です。右上にあるキナの木は、アンデス山脈に自生する植物で、その樹皮からマラリアの特効薬(解熱剤)キニーネが作られます。上部にあるのが樫(かし)の葉のリース。背後には4つの国旗があります。
ペルーの国名について
「パナマの南にビルーという国があると聞いたスペイン人がビルーをペルーと呼んだ」という説や、16世紀にスペイン人が初めてこの地に来たとき、ビル「川、水」と呼ばれる河口で先住民に迎えられたことに由来するなど、複数の説がある。
ペルーの国旗の歴史
ペルーの地には、紀元前からナスカなどの文明がさかえ、13世紀にはクスコ王国が成立しました。15世紀、エクアドルからチリにおよぶインカ帝国が成立しましたが、1533年にスペインのピサロに征服されほろびます。その後スペイン領(ペルー副王領)となり、南米植民地支配の中心に。
1821年、サン・マルティン将軍は都市リマを解放し独立を宣言しました。
しかし1822年、北方から進軍したもうひとりの英雄シモン・ボリバルと「グァキラルの会見」を行い、サン・マルティンはペルー解放をボリバルに委ねます。1824年に独立を達成、翌年に国旗が制定されました。
ペルーの国データ
正式名称 | ペルー共和国 |
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英語表記 | Republic of Peru |
漢字表記 | 秘露(略記:秘) |
首都 | リマ |
略号 | PER |
面積 | 129万㎢(日本の約3.4倍) |
人口 | 3199万人 |
通貨 | ヌエボ・ソル |
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言語 | スペイン語、ケチュア語、アイマラ語など |
民族 | 先住民、混血、欧州系など |
宗教 | キリスト教(カトリック)など |
独立年 | 1821年にスペインから独立 |
国旗の比率 | 3:5 |
在留邦人数 | 3410人 |