ガイアナ
国旗のデザインの意味と由来
緑は農業と森林資源を、白は豊かな水資源を、金色(黄色)は鉱物資源を、そして黒は将来のために必要とされる忍耐力、赤は国づくりのために邁進する国民の力をあらわしています。
国旗の原案は、旗章学研究家として名高い、アメリカのホイットニー・スミス博士。彼の案に沿って、英国紋章院が紋章学の理論にのっとり、黒と白の縁取りをつけ加えました。遠くからでも目立つ赤と金色の三角形は「ゴールデン・アロー旗(黄金の矢じり)」と呼ばれる独特なデザインで、全体として、輝ける国の未来をあらわしています。
ホイットニー・スミス博士は、旗の研究を専門とするボストン郊外の「旗研究センター(Flag Research Center)」の所長です。1966年、イギリス連邦の一員のガイアナとして独立するとき、当時ハーバード大学の教授だったスミス博士に国旗のデザインが依頼されました。博士が、旗に関する造詣を傾けて考案した結果、他には類を見ない図柄で遠くからでもよくわかり、紋章学の諸原則にもかなったデザインになりました。
ガイアナの国名について
先住民インディオの言葉で、ギアナ(スペイン語音)の英語読みで「豊かな水」をあらわす。つまりガイアナは「水の国」。エキセボ、デメララ、バービス、コレンティンという主要な河川が全土を縦断し、水資源に恵まれている。また、一段滝として世界一の高さを誇るカイエチュール滝(ナイアガラの滝の約5倍の高さ)は、この国最大の観光地となっている。
ガイアナの国旗の歴史
この地には、15世紀末にスペイン人が探検するも入植に失敗。17世紀には、オランダ西インド会社が支配下に置き、イギリスとの争奪戦を展開しました。争奪戦の結果イギリス領となり、19世紀の末にはイギリス領ギアナとなります。1966年、イギリス連邦の一員として独立。このとき、それまで「英領ギアナ」と呼ばれていた国名を「ガイアナ」と改称しました。
ちなみにガイアナ国民の大半が、植民地時代にプランテーションの労働力として連れてこられた、アフリカ系黒人の子孫とインドからの移民の子孫です。1834年に奴隷制が廃止されると、さまざまな人々が労働力として呼ばれてきましたが、特に、イギリスの植民地だった英領インドからは多くのインド人が契約移民としてやってきました。
イギリス領ギアナだった時の国旗は、こんな旗でした。カントン部分にイギリスの国旗がある「イギリス青色船舶旗」をベースに、航海する帆船を描いた域章(地域の紋章)が置かれています。域章のデザインは少しずつ変わりました。
1966年の独立時に制定されたとき以降は、1970年、2008年に国名が変更されても現在のガイアナの国旗🇬🇾が使われています。
ガイアナの国データ
正式名称 | ガイアナ共和国 |
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英語表記 | Republic of Guyana |
漢字表記 | 歪阿那 |
首都 | ジョージタウン |
略号 | GUY |
面積 | 21万5000㎢(本州よりやや小さい) |
人口 | 77万9000人 |
通貨 | ガイアナ・ドル |
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言語 | 英語、ガイアナ・クレオール語 |
民族 | インド系、アフリカ系、混血、先住民、その他 |
宗教 | キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教など |
独立年 | 1966年にイギリスから独立 |
国旗の比率 | 3:5 |
在留邦人数 | 21人 |