トンガ
国旗のデザインの由来と意味
カントン部分に赤い十字のシンボルを配した国旗。赤十字は信仰心を、白は純潔を、赤はキリストが人々を救うために流した血をあらわしています。
旗の原型は、1862年に国王ジョージ・トゥポウ1世の命によって、王子と牧師がふたりで考案したもの。その旗は、白地の中央に赤十字が描かれたものでした。ところがその1年後、国際赤十字の旗が制定されます。国際赤十字の旗は、トンガの国旗と同じデザインでした。国際的人道組織として発足した国際赤十字は急速に世界に知られるようになり、結局トンガが国旗を変更。1864年に元のデザインをカントンに収めるという方法で決着をみました。
またこの国旗を制定する際、このデザインはトンガが存続する限り、未来永劫にわたって修正してはならないと憲法により定められました。
トンガの国名について
ポリネシア語で「風下側」を意味します。サモアの「風下」「南側」に位置することに由来していると言われている。
トンガの国旗の歴史
トンガ王国は、4つの群島に含まれる172の国々(有人の島は45)からなる国。大柄な民族で、成人男性の平均身長が180cmといわれているトンガは、『ガリバー旅行記』に登場する巨人国のモデルともいわれています。
18世紀、探検家のジェームズ・クックが来航し、トンガはイギリスの配下に組み込まれました。しかし1845年、キリスト教に改宗した若き戦士タウファアハウが全土を統一、イギリス国王の名前に因んで「ジョージ・トゥポウ1世」(KingGeorge)と名乗り、イギリス人牧師の助けを借りながら国づくりを進めました。
1850年、国王ジョージ・トゥポウ1世が作った旗はこんなデザインでした。
中央に、赤文字Aと青文字Mを組み合わせたシンボルを置き、左右に十字を配した国旗。AとMは、聖母マリアへの祝いの言葉「アベ・マリア」をしめすと考えられています。
こちらは1862年に、国王ジョージ・トゥポウ1世が命じ、王子と牧師に作らせた旗です。トンガでは、王家と国民のほとんどがキリスト教徒。敬虔なキリスト教徒であった国王は「イエスの十字架を記し、旗の色は、我々を救うために十字架の上で流された血を意味する赤が希望」と伝えたといいます。
1864年、ヨーロッパで同じデザインの国際赤十字旗が制定されたため、現在の国旗🇹🇴のデザインに変更されました。
トンガの国章・王室旗
トンガの国章も、国王ジョージ・トゥポウ1世の皇太子、つまりトンガ王子のウェリントンガトニ・ニグ・トゥポーマロヒと、牧師シャーリー・ベーカーが草案を作りました。なんとこの王子はトンガ国歌の作曲者でもあります。
1866年から使用している盾型紋章。左上には黄色地におもな3つの群島をあらわす3個の白い六角星、右上は赤地に王国をあらわす王冠、左下は青地に平和・統一・キリスト教をあらわすオリーブの枝をくわえた白いハト、右下は黄色地にトンガ、タカラウア、カノクポルの3王家とその血をひく現トゥポア王家の歴史をあらわす白い3本の剣。中央の六角星にも赤十字が描かれています。
トンガの歴史
- 1616年にオランダ人がヨーロッパ人としてはじめて来航
- 1643年 オランダ人航海者・探検家のタスマンが南部諸島を訪れた
- 1773年、1777年にはイギリス人クックがトンガタプ島を訪れた
- 1845年 タウファアハウが全土を統一、1875年に国王トゥポウ1世として立憲君主国を宣言、来島していたキリスト教宣教師団の協力を得て法典をつくり、奴隷を解放した
- 1900年 イギリスの保護領となる
- 1970年 イギリス連邦内の立憲君主国として独立
- 2006年 史上初の、王族出身以外の首相が誕生した
トンガの国データ
正式名称 | トンガ王国 |
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英語表記 | Kingdom of Tonga |
漢字表記 | 湯加 |
首都 | ヌクアロファ |
略号 | TON |
面積 | 720㎢(長崎県の対馬とほぼ同じ) |
人口 | 10万3000人 |
通貨 | パアンガ |
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言語 | トンガ語、英語 |
民族 | ポリネシア系 |
宗教 | キリスト教(メソジスト系、カトリック、モルモン教など) |
独立年 | 1970年にイギリスから独立 |
国旗の比率 | 5:8 |
在留邦人数 | 69人 |