パラオ
国旗のデザインの由来と意味
パラオの国旗には、美しい太平洋にぽっかり浮かぶ満月が描かれています。
青は太平洋の海、黄色は愛と平和をあらわします。黄色の円は満月で、パラオが独立国になったことをあらわしています。円がわずかに旗竿寄りにあるのは、旗がはためいたときに中央に見えるようにというデザイン上の配慮から。
独立前の1979年、国旗のデザインコンペが行われ、1,000以上の応募作品の中からジョン・ブロー・スキーボン氏が考案したこのデザインが選ばれました。そして1994年の独立時に、日系人のクニオ・ナカムラ初代大統領が正式に採用してパラオの国旗となりました。
パラオはかつて(第一次世界大戦後の1921年から45年まで)日本の委任統治領だったので、色々なところに日本の名残があり、国民は親日的で知られています。国旗が日の丸と似ているのはその影響だという説がありますが、国旗をデザインした本人はこの説を否定していて、このように語っています。
「パラオは美しい海に囲まれた島々。満月がいかに美しいかご想像ください。日本時代を知っていますし、船乗りなので戦後も何度か日本の港にも行っています。でも、デザインしたとき、特段にそうした意識はありませんでした。」
「地上最後の楽園」と呼ばれ、美しい海に囲まれたパラオには、満月にまつわる物語や伝説がたくさんあるそうです。ちなみにこのパラオの国旗は、日本の「日章旗」「日の丸」という言い方に対して、「月章旗」「月の丸」と呼ばれることもあります。
パラオの国名について
マレー語で「島」を意味する「プラウ」に由来する
パラオの歴史
パラオは、日本の真南にあり、火山島やサンゴ礁など約200の島々のパラオ諸島からなる国です。第二次世界大戦で激戦地となり、戦争が終わると、アメリカの国連信託統治領となりました。その後、パラオは太平洋上の防波堤として、アメリカにとって重要な存在だったため、なかなか独立できませんでしたが、東西冷戦が終結してパラオの戦略的価値が低下した1994年、ようやく独立を果たしました。
2015年には、有効と慰霊のために天皇・皇后両陛下が訪問され、国をあげて歓迎されました。
- 16世紀にスペイン人が来航
- 19世紀初頭からは捕鯨船や商船の来航がさかんになる
- 1886年、スペインが領有を宣言するが、1899年にパラオを含むカロリン諸島をドイツに売る
- 第一次世界大戦中は日本軍が占領し、1920年から日本の国際連盟委任統治領「南洋群島」となった
- 第二次世界大戦後の1947年、国連はミクロネシアを6つの地区に分け、アメリカの国連信託統治領「太平洋諸島」とし、パラオはその中のひとつの地区となる
- 1965年、ミクロネシア議会が発足
- 1978年、パラオは住民投票の結果、ミクロネシア地域の統一国家構想からはなれることを決定
- 1981年、パラオ自治政府が発足、核の貯蔵や持ち込みを全面禁止する非核条項を含む憲法を公布した
- 1994年、独立し、国連に加盟
- 2006年、首都をコロールからマルキョクで移した
パラオの国データ
正式名称 | パラオ共和国 |
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英語表記 | Republic of Palau |
漢字表記 | 帛琉(略記:略) |
首都 | マルキョク |
略号 | PLW |
面積 | 488万㎢(鹿児島県の屋久島とほぼ同じ) |
人口 | 1万8000人 |
通貨 | 米ドル |
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言語 | パラオ語、英語 |
民族 | ミクロネシア系 |
宗教 | キリスト教 |
独立年 | 1994年にアメリカから独立 |
国旗の比率 | 5:8 |
在留邦人数 | 350人 |