フィジー
国旗のデザインの由来と意味
右側に国章の盾の部分を、左上にイギリス国旗を配した水色旗。フィジーはかつてイギリスの支配下にあったことから、「ブルー・エンサイン(イギリス青色船舶旗)」を基調としたデザインになっています。この国旗は、イギリス連邦加盟国として独立した1970年に制定されました。
水色は南太平洋をあらわします。紋章には、ココアの殻を持つ獅子(ライオン)、ヤシの木、バナナ、サトウキビ、そして『旧約聖書』の「ノアの洪水」の故事に由来する平和の象徴「オリーブの枝を加えた鳩」が描かれています。真ん中の赤い十字は、ユニオン・ジャックを構成している十字のひとつ、イングランドの聖ジョージ十字(白地に赤十字)。また獅子も、中世ヨーロッパで騎士の模範とたたえられたイングランドの王、リチャード獅子王ゆかりのシンボルです。
フィジーは一時(1987〜1996年)イギリス連邦を離脱していましたが、その間もユニオン・ジャックのついた国旗を使っていました。その後、ユニオン・ジャックのない国旗を作ろうと動きいくつかの案に絞り込んだのですが、正式な採用にはいたりませんでした。
2015年には、ユニオン・ジャックのない「太平洋地域の国家」をイメージした、空色の地に白で貝を描いた新しいデザインにすると公表しました。ところが、翌2016年のリオデジャネイロオリンピックにフィジーは初参加し、7人制ラグビーで金メダルを獲得します。国民が今の国旗を振って歓喜する姿を見て、首相は国旗変更を取り止めました。
フィジーの国名について
ポリネシア語の「フィティ(日が昇る地)」の英語なまりで、日本でも観光で有名なフランス領ポリネシアの主島タヒチと同じ語源。
フィジーの歴史
フィジーには17世紀にオランダの探検家タスマンが渡来しましたが、1874年にイギリス領となりました。19世紀後半以降、イギリスが砂糖農園の労働者としてインドからの移民政策を進めた結果、インド系住民が増え、現在の人口は、フィジー系が54%、インド系が38%となりました。
- 17世紀にオランダ人タスマンが来航
- 18世紀にイギリス人クックが来航
- 1874年、イギリスの植民地となり、綿花やサトウキビのプランテーションが発達。労働力を得るために、1879年〜1916年で約6万人のインド人が移民として移住した
- 1970年、イギリス連邦内の立憲君主国として独立
- 1987年、総選挙でフィジー系の同盟党政権から、インド系の国民連邦党と労働党の連立政権に移る
- しかしフィジー系の軍人がクーデターを起こし、共和国を宣言して連邦を離れる
- 1990年、フィジー系を上位とする新憲法を制定
- 1997年、憲法を改定してインド系住民の権利を拡大して連邦に復帰
- 2006年、ふたたびクーデターが起こる
- 2009年、非常事態宣言が出されたが、2012年に解かれた
フィジーの国データ
正式名称 | フィジー共和国 |
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英語表記 | Republic of Fiji |
漢字表記 | 斐済 |
首都 | スバ |
略号 | FIJ |
面積 | 1万8270㎢(四国とほぼ同じ) |
人口 | 89万人 |
通貨 | フィジー・ドル |
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言語 | フィジー語、ヒンディー語、英語 |
民族 | フィジー系、インド系、その他 |
宗教 | キリスト教、ヒンドゥー教、イスラム教 |
独立年 | 1970年にイギリスから独立 |
国旗の比率 | 1:2 |
在留邦人数 | 492人 |