メキシコ
国旗のデザインの由来と意味
緑は独立と希望、白はカトリックと信仰心、赤は民族の統一をあらわします。
中央には、鷲(ワシ)が蛇をくわえている国章が置かれています。「湖のほとりで、ワシが蛇をくわえてサボテンに止まっているのを見たら、そこに都を築け」というアステカ族の建国伝説を描いたデザイン。下には国の色のリボンで結ばれた月桂樹(右、勝利をあらわす)とオーク(左、力をあらわす)のリースが描かれています。
国章がないとイタリア🇮🇹の国旗にとてもよく似ているため、常に国章付きの国旗を使います。
メキシコの国名について
アステカ族が信仰した守護神ウィツィロポチドリの別名で「神に選ばれし者」の意味がある「メヒクトリ」に、場所を表す接尾辞「コ」をつけた国名。メキシコは英語読み。16世紀のはじめ、スペイン人コルテスがアステカ王国の都を破壊し、スペイン領ノバ・イスパニアの首都として命名した。メキシコの首都は、国名と区別するためにメキシコシティと呼ばれる。
メキシコの国旗の歴史
メキシコは、かつてはマヤ文明やアステカ帝国など、高度な古代文明が繁栄していた地域です。16世紀にスペイン人コルテスによってアステカ帝国が滅ぼされると、スペインによる支配が300年あまり続きました。
18世紀末には、アメリカ独立戦争、フランス革命、ナポレオン戦争といった革命が相次ぎましたが、ナポレオンのスペイン征服に乗じて、メキシコでもメキシコ独立革命が起こりました。
初期の独立運動を指導した英雄で「メキシコ独立の父」として知られているのが、ミゲル・イダルゴ神父です。ドローレス村の司祭だったイダルゴ神父は、1810年9月、「ドローレスの叫び」として知られる演説を行い、奴隷扱いされていた先住民や混血民2万人を率いて武装蜂起を起こします。政府の主要都市を次々と攻略し、12月には議会の設立を宣言、奴隷を解放しインディオに土地を与えました。
イダルゴ神父が掲げたのはグアダルーペの聖母の旗で、こんなデザインでした。
グアダルーペの聖母とは、カトリック教会が公認している聖母出現のひとつで、メキシコで最も敬愛されている宗教的シンボルです。
※メキシコのキリスト教は、スペインによってもたらされたローマ・カトリックが、もともとメキシコにあった先住民の土着信仰と融合したもの。メキシコは世界で2番目にカトリックの人口が多い国です。
翌年1月、イダルゴ神父らの軍はメキシコシティの攻略に失敗。イダルゴ神父は、アメリカに逃れようとしたところを捕らえられて銃殺刑に処され、晒し首にされてしまいます。
イダルゴ神父の死後、彼の意思を継いだ神父や軍人らによって独立戦争は続きましたが、なかなかうまくいきませんでした。
さて。この時、スペイン側にはイトゥルビデという人物がいました。有能な司令官で、反乱軍(メキシコ独立軍)を討伐するためメキシコに配置されていましたが、次第に反乱軍に同情するようになり、ひそかに反乱軍と交渉を行います。
そして1820年、なんとイトゥルビデは指揮下のスペイン軍を率いて反乱軍に合流したのです。メキシコを君主制国家として独立させる「イグアラ宣言」を公布し、メキシコからスペイン王党派を追い出しました。
こうして10年以上続いた独立戦争が終わり、メキシコは独立を達成しました。
この独立時には、縦ではなく斜めに区分された白・緑・赤の旗を使っていましたが、独立後イトゥルビデが皇帝になり、フランスの三色旗を手本に、中央にワシを配置した緑・白・赤の三色旗を制定しました。今の国旗と少し違うのがわかりますか?
ワシが冠をかぶっていますし、爪とクチバシで蛇を掴んでいません… 現在の国旗とはワシのデザインが違うんです。
この、国章であるワシのデザインは政権が変わるたびに変更されました。長い時間をかけて今の形になり、1968年からは同じ国章が続いています。
独立を果たしたメキシコですが、独立後も波乱が続きました。帝政になったり連邦共和制になったり、テキサスをめぐってアメリカと戦争をしたり、独裁政権を経たり…。そして1910年、メキシコ革命(民主革命)が起こり近代化を実現しました。
メキシコの国データ
正式名称 | メキシコ合衆国 |
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英語表記 | United Mexican States |
漢字表記 | 墨西哥(略記:墨) |
首都 | メキシコシティ |
略号 | MEX |
面積 | 196万㎢(日本の約5倍) |
人口 | 1億2619万人 |
通貨 | ペソ |
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言語 | スペイン語 |
民族 | 欧州系と先住民の混血、欧州系など |
宗教 | キリスト教(カトリック)など |
独立年 | 1821年(スペインから) |
国旗の比率 | 4:7 |
在留邦人数 | 1万1775人 |