キューバ


国旗のデザインの意味と由来



キューバの国旗は、「ラ・エストラータ・ソリタリアひとつ星」の愛称で知られています。
赤い三角形は平等・自由・友愛、の3本の縞は独立当時の3地区を、の2本の縞は独立の精神をあらわし、白い五角星は国民の自由や独立の象徴です。また、は独立闘争で流された血を、は独立運動家の強い理想をもあらわしています。

キューバ解放運動がおこった際に、ナルシーソ・ロペス将軍が採用していた旗で、イギリスからの独立戦争を戦ってきたアメリカを称えて星条旗をモデルに考案されたものだといいます。1940年に制定された憲法には「キューバ共和国の国旗はナルシーソ・ロペスの旗であり、1902年5月20日、政権がキューバに移譲されると同時にハバナのモロ要塞に掲げられたものである」と、国旗のいわれについて明記されています。


ナルシーソ・ロペス将軍

ロペス将軍はベネズエラ人で、キューバ独立の英雄でした。スペイン本国に投じて南米独立の立役者であるシモン・ボリバルとも戦ったことがあるという人物。その後、3回にわたりスペインの支配するキューバに侵攻しますが失敗、処刑されました。

彼の死後、1898年の米西戦争によってアメリカの保護のもとにキューバは独立し、現在の旗が国旗となりました。その後キューバ革命が起こりましたが、革命が成功した後もこの国旗がそのまま使われています。


キューバの国名について

国土の中心となるキューバ島に由来しているといわれる。「キューバ」は英語の読み方で、キューバの言語であるスペイン語では「クーバ」と呼ばれ「中心地」という意味。


キューバの歴史


  • 1492年 コロンブスが到達
  • 1511年 スペインに征服される
  • 1868~78年 第一次独立戦争
  • 1895年 第二次独立戦争がはじまる
  • 1898年 米西戦争の結果、アメリカの軍政下に入る
  • 1902年 スペインから独立するが、その後もアメリカの支配下にある
  • 1952年 バチスタ独裁政権が発足
  • 1959年 カストロが反政府ゲリラを率いてハバナを占領し、キューバ革命が成功
  • 1961年 中南米最初の社会主義国となり、アメリカと断行
  • 1962年 ソ連がミサイルを持ち込むキューバ危機が発生するが、衝突は避けられた
  • 1991年のソ連崩壊、1996年のアメリカのキューバ制裁強化法で経済は打撃を受けた
  • 2015年 アメリカと国交を回復したが、関係はいまだ不安定のまま

キューバ革命とカストロ

キューバでは、1952年、軍事独裁政権が成立しました。これに対し、フィデル・カストロらが立ち上がり、1953年7月26日、モンカダ兵営を攻撃するが失敗。カストロはのちにメキシコに渡り、革命の準備をするのですが、ここでアルゼンチンから来た医師チェ・ゲバラも参加します。1956年、総勢82人の同志たちはキューバに上陸し、山中に入ってゲリラ戦を戦いながら、政府に不満を持つ国民の支持を得て勢力を広げ、1959年ついに軍事政権をたおしました。

カストロの政府が農民に土地を分配し、アメリカ資本の砂糖会社を国有化すると、アメリカはキューバ政府を倒そうとしますが失敗。以後、キューバは社会主義政策をおしすすめました。

20世紀、最も多く複製された『英雄的ゲリラ』


『英雄的ゲリラ』Jim Fitzpatrick


『英雄的ゲリラ』Jim Fitzpatrick


チェ・ゲバラは、フィデル・カストロとともにキューバ革命を率いたマルクス主義革命家です。『英雄的ゲリラ』は、1960年3月5日にアルベルト・コルダがチェ・ゲバラの姿を撮影した写真。20世紀、最も多くの複製が行われた写真ともいわれています。

ゲバラの生涯と思想は、反米的思想を持つ西側の若者や、冷戦下における南アメリカ諸国の軍事政権・独裁政権下で革命を目指す者たちに熱狂的にもてはやされ、その写真は1960年代の後半頃からTシャツやポスターに印刷されるシンボルになりました。


キューバの国データ



正式名称 キューバ共和国
英語表記 Republic of Cuba
漢字表記 玖馬(略記:玖)
首都 ハバナ
略号 CUB
面積 10万9884㎢(本州の約半分)
人口 1148万人


通貨 キューバ・ペソ
言語 スペイン語
民族 ヨーロッパ系、混血、アメリカ系
宗教 キリスト教(カトリック)など
独立年 1902年にスペインから独立
国旗の比率 1:2
在留邦人数 90人

Information


キューバの国旗

CUBA
(3:5)


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