スロバキア
国旗のデザインの意味と由来
白・青・赤の汎スラブ色を使った三色旗をベースに、左側に国章を配したデザインの旗。
もともとは国章は付いていませんでしたが、1992年のソビエト連邦の崩壊にともない、ロシアの国旗が同じデザインになることに配慮したため、国章を加えました。
赤い盾型の国章は、古くから東ヨーロッパで使われてきたキリスト教の十字架と、3つの丘を図案化したもの。伝統的なハンガリーのデザインである、「緑の3つの丘に立つ白い十字架」の丘の部分を青に変えたデザインで、19世紀に考案されました。
スロバキアの国章
縦に1本、横に2本の棒で構成されているこの十字は、ビザンツ帝国から伝わる東方正教会のシンボルで、「族長十字」や「ダブルクロス」「ロレーヌ十字」とも呼ばれています。また3つの丘は、国のシンボルであるタトラ山、ファトラ山、マトラ山をあらわします。
また、ハンガリーの国章にも、「緑の3つの丘に立つ白い十字架」と、タトラ山、ファトラ山、マトラ山が描かれています。
十字のシンボルは、キリスト教を公認したコンスタンティヌス大帝の時代に、キリストの受難、復活、救済の象徴となりました。
やがて十字軍の時代になると、十字のシンボルは旗の中に取り入れられていきます。そして十字軍遠征の後半からは、旗地に十字を描いただけの、単純なギリシア十字の他にも、この族長十字や、マルタの国旗🇲🇹に使われている、マルタ騎士団が使ったマルタ十字、ジョージアの国旗🇬🇪に使われているエルサレム十字、ローマ教皇のシンボルである教皇十字といった、思い思いにデフォルメされた様々な十字架のシンボルが誕生しました。
スロバキアの国名について
6世紀にこの地に定住していたスラブ人に由来し、「スラブ民族の土地」という意味。スラブはゴート語で「slav(口数の少ない人々)」をあらわすという。スロバキア人は、西スラブ民族。
スロバキアの歴史(略史)
かつてのスロバキアは、オーストリア・ハンガリー帝国の支配下にありましたが、1919年のベルサイユ会議で、隣接するチェコと合わせてチェコスロバキアとして独立しました。
その後はソ連の圧力の中、チェコスロバキアは共産色を強めていくのですが、1980年に東欧に起こった民主化の動きの中、共産党が急速に衰えていきました。
民族的には、スロバキアはチェコと近い関係にありながら、オーストリアの影響が強かったチェコに対して、スロバキアはハンガリーの影響を強く受けています。1990年、それまでの「チェコスロバキア」は「チェコおよびスロバキア連邦共和国」と名前を分け、その後も両者の分裂が進みました。
そして、1992年の総選挙を経て「民主スロバキア運動」が進み、翌年、現在のスロバキア共和国として独立しました。
国の分離独立は流血の惨事となることがほとんどですが、チェコとスロバキアの場合は、十分な話し合いのもとほぼ円滑に分かれたため、幸い国民が命を落とすようなことは起こりませんでした。そういった意味で、両者の決別は「ビロード離婚」といわれました。
- 5〜6世紀頃、西スラブ系のスロバキア人が定住を始める。
- 9世紀、大モラビア王国が栄えたが、10世紀初めにマジャール人が侵入し、11世紀、ハンガリー王国に編入される。
- 1526年、ハンガリーがオスマン帝国に敗れると、中部と南部はオスマン帝国に、北部と西部はハプスブルク家の支配下に入る。
- 第二次世界大戦後の1918年、チェコと合体しチェコスロバキア共和国として独立。
- 1939年、ナチス・ドイツの圧力で保護国となるが、第二次世界大戦後の1948年、チェコと一緒に社会主義国となる。
- 1989年、ビロード革命が起こり、1993年、チェコと分離しスロバキア共和国として独立。
- 2004年、EU(ヨーロッパ連合)に加盟する。
スロバキアの場所と国データ
正式名称 | スロバキア共和国 |
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英語表記 | Slovak Republic |
漢字表記 | 斯洛伐克 |
首都 | ブラチスラバ |
略号 | SVK |
面積 | 4万9037㎢(日本の約7分の1) |
人口 | 545万人 |
通貨 | ユーロ |
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言語 | スロバキア語 |
民族 | スロバキア人、ハンガリー人 |
宗教 | キリスト教(ローマカトリック、ルター派)など |
独立年 | 1993年にチェコスロバキアが解体、独立 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 201人 |