オランダ
国旗のデザインの意味と由来
オランダの国旗🇳🇱は諸侯旗(プリンセン・フラッグ)と呼ばれていて、世界で最初の三色旗として有名です。赤は国民の勇気、白は神への信仰心、青は祖国への忠誠心をあらわしています。
国旗の原型は、スペインからの独立戦争時(1568年-1648年)に、オラニエ公ウィリアムのもとで戦ったオランダ兵士が、独立を目指し掲げたもの。このオラニエ公(オラニエ家)の紋章が、オレンジ・白・青の配色でした。国旗に使われている赤色は、最初はオレンジだったのです。
しかし、当時オレンジの染料は退色しやすく、海の上では識別しにくいという欠点がありました。
1581年の独立宣言後、1596年にはオレンジを赤に変更したいという嘆願書が議会に提出されます。その後、オレンジから赤への塗り替え作業が進められましたが、徐々に進められたため、すべての旗が赤に変更されるには1795年頃までかかりました。
1937年、ウィルヘルミナ女王によって、正式に今の赤・白・青の国旗になりましたが、現在もオレンジはオランダの色で、オラニエ家に特別な想いを持っている人々は今でも、赤ではなくオレンジ色の三色旗を使うことがあります。
この旗は自由のシンボルとして、フランス、ロシアやその他のスラブ諸国、ヨーロッパ諸国の国旗に大きな影響を与えました。17世紀末にロシアのピョートル大帝が、この旗を近代国家の規範として称え国旗のデザインを参考にしたことがよく知られています。
またオランダからの移住者によって、旧南アフリカの国旗のベースにもなりました。かつてのオランダの植民地だった国や地域の旗にも影響を与えています。
オランダの国章
この国章が最初に制定されたのは1907年ですが、その後ナチス・ドイツによる占領を経て、オランダ解放とともに復活しました(1945-)。
青い盾型紋章に描かれているのは、現在のオランダ王家であるオラニエ=ナッサウ家をあらわす青地に黄色のライオンと、共和国をあらわす7本の矢を持つライオンの組み合わせです。
向き合った2頭のライオンが盾を支え、盾の底部のリボンには、フランス語で「Je Maintiendrai(我は擁護する)」と記されています。
オランダの歴史(略史)
北海に面した国、オランダ。国土の4分の1が海面より低く、堤防で囲まれた干拓地が広がります。独立後の17世紀にはヨーロッパ屈指の海上帝国として発展を遂げました。
日本の鎖国時代にも交易があったオランダからは、当時の世界の国旗についての書物が次々と流入したそうです。そして日本の浮世絵や版画の技術で、たくさんの国旗が印刷・出版され日本人に伝えられました。
- 紀元前1世紀にローマに支配され、8世紀にフランク王国に編入される。
- 11世紀頃から毛織物業と貿易で都市が発展した。
- 15世紀にハプスブルク家の支配下に入り、1568年、ハプスブルク家の国王がおさめるスペインと戦い(八十年戦争 / オランダ独立戦争とも呼ばれる)、1648年、ウェストファリア条約で独立を達成。
- 1602年にオランダ東インド会社を設立し、インドや東南アジアなどに進出して香辛料の貿易などを行い繁栄した。
- 19世紀初めにフランスに併合されるが、1815年に南部諸州のベルギーを合わせてオランダ王国として独立する。(1830年、ベルギーは独立。)
- 第一次世界大戦では中立を保ったが、第二次世界大戦ではドイツ軍に占領された。
- 戦後の1957年、ヨーロッパ経済共同体(EEC、現在のEU)の設立に参加した。
オランダの場所と国データ
正式名称 | オランダ王国 |
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英語表記 | Kingdom of the Netherlands |
漢字表記 | 和蘭、もしくは阿蘭陀(略記:蘭) |
首都 | アムステルダム |
略号 | NLD |
面積 | 4万1864㎢(九州とほぼ同じ) |
人口 | 1,747万人(2021年、IMF) |
通貨 | ユーロ |
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言語 | オランダ語 |
民族 | オランダ人(ゲルマン民族) |
宗教 | キリスト教(カトリック、プロテスタント)、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教など |
独立年 | 1648年(スペインから独立) |
国旗の比率 | 7:11 |
在留邦人数 | 9223人 |