北マケドニア
国旗のデザインの由来と意味
赤の地色に、8本の光を放つ黄色の太陽を描いたマケドニアの国旗🇲🇰。赤は自由と進歩を求める闘いを、黄色は生命と喜びをあらわします。中世末期以来、マケドニアの伝統的な紋章である赤地に金色のライオンに由来した、マケドニアを象徴する色です。
北マケドニアは、旧ユーゴスラビアを構成した国のひとつで、以前は国名をマケドニア共和国としていました。ユーゴスラビア崩壊の過程で、1991年に独立を宣言。翌年、アレクサンドロス大王の生誕地として有名な古代都市マケドニアのシンボル「ヴェルギナの星」(星というが実際は太陽と見るのが有力説)を使った国旗を制定します。しかし、これに反発した隣国のギリシャから強く抗議を受けました。
そして、古代マケドニア王国の領地だった部分のほとんどはギリシャにあるのです。歴史的な古代マケドニアとの継承性は自国にこそふさわしい。と考えているギリシャは、この国が「マケドニア」と名乗ることを嫌がりました。そして、1990年代から、マケドニア共和国の国号を改めるようにも要求しました。
1995年、マケドニアは新たな国旗を制定。太陽のデザインを簡素化して、旗面の端まで伸びる8本の光線に変更しました。こうして生まれたのが現在の国旗です。マケドニアの建築家でありグラフィックデザイナー、漫画家、風刺画家でもあるミロスラフ・グルチェフがデザインしました。
加えてマケドニアは、ギリシャ領マケドニアへの領土的野心がないことを説明した上で、国名を自国で決める権利は認められるべきと主張しました。そして2018年、ギリシャとの合意が結ばれ、現在の国名「北マケドニア共和国」に改称しました。
北マケドニアの国章
自由をあらわす陽の光と、コラプ山、オフリド湖、バルダル川。小麦の穂とタバコの葉のリース、ケシのつぼみ、民族模様の赤・白の柄のリボン。
1945年に制定された国章を原型としたデザインで何度が修正され、共産主義政権時代には赤い五角星がついていましたが、2009年に取り除かれました。
北マケドニアの国名について
「ボスニア」は、北部を流れるボスナ川「Bosna(清い)」の英訳、「ヘルツェゴビナ」は、15世紀にこの地に統一された領地を「Herzog(軍司令官領)」と呼んだことに由来する。
北マケドニアの歴史(略史)
- 古代マケドニアの一部で、ギリシャ人が住んでいた。6〜7世紀にスラブ人が定住。
- ビザンツ帝国の支配のもとでキリスト教を受け入れる。
- 12世紀にセルビア王国に支配され、15世紀からオスマン帝国の支配下に入る。
- 1913年にバルカン戦争の結果、ギリシャとセルビアに分割され、1918年、セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国の一部になる。
- 1945年、ユーゴスラビア連邦人民共和国の一共和国となる。1991年、独立を宣言。マケドニアという国名を使うことをギリシャが反対したため、1993年、一時的に現国名で国連に加盟した。
- 2001年、アルバニア系過激派と政府軍の間で内戦が起こり、北大西洋条約機構(NATO)の仲介で和平を結ぶ。
北マケドニアの場所と国データ
正式名称 | 北マケドニア共和国 |
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英語表記 | Republic of North Macedonia |
漢字表記 | 北馬其頓 |
首都 | スコピエ |
略号 | MKD |
面積 | 2万5713㎢(九州の約3分の2) |
人口 | 208万人 |
通貨 | マケドニア・デナル |
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言語 | マケドニア語、アルバニア語 |
民族 | マケドニア人 |
宗教 | キリスト教(マケドニア正教)、イスラム教 |
独立年 | 1991年にユーゴスラビア連邦から独立 |
国旗の比率 | 1:2 |
在留邦人数 | 21人 |