ルクセンブルク
国旗のデザインの由来と意味
ルクセンブルクは、オランダと同じくオラニエ・ナッサウ家を出自とした国。国旗も、オランダ🇳🇱の方が青が濃いという以外は同じデザインです。(縦横比は、オランダが2:3、ルクセンブルクが3:5)。
赤・白・青の配色は、1235年頃に考案された、ルクセンブルク公家の紋章に由来しています。
この紋章の「青と白の縞模様を背景に描かれた赤いライオン像」は、現在のルクセンブルクの国章の中にも見ることができます。
1845年に制定された、オランダ王国領ルクセンブルク域旗と同じデザインで、1945年から使われていますが、国旗の色や縦横比が正式に制定されたのは1972年からとなっています。
ルクセンブルクの国章
青と白の縞模様を背景に立つ赤いライオンには、尾が2つあります。これは、ルクセンブルクの紋章に伝統的に使われている図象で「リンブルク・ライオン」と呼ばれています。
盾の上に大公爵の冠、盾の両側にも2頭のリンブルク・ライオンが立ち、盾のまわりにオーク冠勲章(ルクセンブルクの騎士団勲章)、背後に大公爵の冠を乗せた赤い位階服を配したもの。
ルクセンブルクの国名について
中世のドイツ語「lutze(小さい)」と「birg(城砦、城、城下町)」で「小さな城砦の都市」を意味する。
ルクセンブルクの歴史(略史)
ルクセンブルクは、ドイツ、ベルギー、フランスに囲まれた内陸国。森林と渓谷の景観にすぐれ、随所に残る古城や要塞などが、かつて「陸のジブラルタル」と呼ばれた難攻不落の地を物語っています。
ベルギー、オランダと合わせてベネルクス3国と呼ばれる小国のひとつです。この3国はいずれも、立憲君主制を採用していて国土が狭いという特徴を持ち、3ヵ国を全て合わせても、隣国ドイツの5分の1、フランスの9分の1程度の広さとなっています。
963年にルクセンブルク領が誕生し、1354年に公国へ昇格。その後はスペインやオーストリア、フランスの支配を受けます。1815年に大公国として自治が復活。1867年にロンドン条約によって、ドイツ(プロイセン)とフランスの緩衝国とするため永久中立国となりましたが、1949年には中立政策を放棄しました。
1951年のECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)から、1993年のEU(ヨーロッパ連合)にいたるヨーロッパの再生と統合に初めから参加。また、1970年代後半から租税を軽減するタックスヘイブン政策の導入や、徹底した多言語教育による人材育成が功を奏し、一躍スイスと並ぶヨーロッパの金融センターとしての役割を果たすようになりました。
- 10世紀、神聖ローマ帝国の領邦のひとつアルデンヌ家のジーゲフロイ伯が支配し、要塞都市を築いた。
- 11世紀、ルクセンブルク伯の称号を与えられ、14世紀半ばに公国となる。その後、ブルゴーニュ家、ハプスブルク家、フランスなどの支配を経て、1815年、オランダ国王を大公とするルクセンブルク大公国となる。
- 1867年、非武装、永世中立を宣言するが、第一次世界大戦と第二次世界大戦では、ドイツ軍に占領された。
- 1945年、国連に加盟。1949年には永世中立を捨てて、NATO(北大西洋条約機構)に加盟。1957年には、EEC(ヨーロッパ経済共同体、現在のEU)の設立に参加し、ヨーロッパの統合にも積極的に関わっている。一人当たりの国民所得は世界でもトップレベルで、社会保障も整備されている。
ルクセンブルクの国データ
正式名称 | ルクセンブルク大公国 |
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英語表記 | Grand Duchy of Luxembourg |
漢字表記 | 盧森堡 |
首都 | ルクセンブルク市 |
略号 | LUX |
面積 | 2586㎢(佐賀県とほぼ同じ) |
人口 | 61万4000人 |
通貨 | ユーロ |
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言語 | ルクセンブルク語、フランス語、ドイツ語 |
民族 | ルクセンブルク人 |
宗教 | キリスト教(カトリック)など |
独立年 | 1867年に永世中立国になる |
国旗の比率 | 3:5 |
在留邦人数 | 673人 |