リヒテンシュタイン


国旗のデザインの由来と意味


リヒテンシュタインの国旗画像(svg)

リヒテンシュタインの国旗(1982-)

は空の色を、は暖炉の火の色をあらわし、金色は、この国が公国であることを示すとともに、国民と統治者が一体であることをあらわしています。

この国旗の起源は、18世紀の初めに、当時のヨーゼフ・ヴェンチェル皇太子の使用人が着ていた、赤・青2色の制服に由来するといわれています。やがてこの2色は国民色として広く使用されるようになり、19世紀の半ばに縦の二色旗が国旗として採用されました。しかし当初は冠はついていませんでした。

1921年、青・赤の横二色旗となったのですが、1936年のベルリンオリンピックのとき、自国の国旗がハイチの国旗🇭🇹(民間用)とまったく同じだということが判明しました。そして混乱を避けるために、翌年カントンに冠が加えられました。1982年には冠の形が若干修正されています。

縦長に掲揚するときには、旗竿側が青地で冠の頂点は上を向くように描かれた、垂直掲揚用の国旗が使われます。


リヒテンシュタインの国章


リヒテンシュタイン家の歴史を物語っている盾型紋章。


左上:シレジア諸侯国をあらわす黄地に黒ワシ
右上:ザクセン王国をあらわす黄と黒の横縞に緑の輪の冠
左下:トロッパウ公国をあらわす赤白の盾
右下:キルクセナ家をあらわす黄地に女性の顔を持つ黒鳥
下:クルノフ公国をあらわす青地の金色ラッパ
中央:リヒテンシュタイン家をあらわす黄色と赤の盾


リヒテンシュタインの国名について

国家元首でもあるリヒテンシュタイン家の名に由来。「リヒト(光、明るいもの)」と「シュタイン(石、石の塊の山、城)」から、「明るい城塞」という意味。


リヒテンシュタインの歴史(略史)


リヒテンシュタインは、スイスオーストリアに囲まれ、アルプス山中にある小国。ドイツ語が公用語で、元首であるリヒテンシュタイン家の家名がそのまま国名になっています。

1699年、リヒテンシュタイン家のヨハン・アダム・アンドレアス侯がシェレンベルク領(現在の低地部)を購入。ついで1712年、ファドーツ領(現在の高地部)を購入し、1719年に神聖ローマ帝国のカール6世により自治権を与えられたのが、この国のはじまりです。1815年にはドイツ連邦に加わりましたが、1866年に独立しました。

独立した1866年には、オーストリアとプロイセンの戦争で派兵しましたが、小国の非力を痛感して軍隊を解散。1868年以降、一貫して非武装中立政策を取り続けています。軍事・外交・通貨をスイスに委ね、事実上スイスの保護国的な立場にある国です。


  • ローマに支配されていたが、5世紀頃、ゲルマン系のアレマン人が移住した。
  • 14世紀、高地部にファドーツ伯の領地ができた。17世紀末にリヒテンシュタイン家が低地部を取得し、さらに高地部も入手して、1719年、神聖ローマ皇帝から公国として自治権を与えられた。
  • 1815年にドイツ連邦に加わり、1866年にドイツ連邦が解体すると独立。翌年、永世中立を宣言し、軍隊を廃止した。
  • 第一次世界大戦、第二次世界大戦では中立を保つ。
  • 1990年、国連に加盟。一部を除き外交はスイスに委任している。一人当たりの国民所得は世界でもトップクラス。

リヒテンシュタインの国データ



正式名称 リヒテンシュタイン公国
英語表記 Principality of Liechtenstein
漢字表記 列支敦士登
首都 ファドーツ
略号 LIE
面積 160㎢(小豆島とほぼ同じ)
人口 3万8000人


通貨 スイス・フラン
言語 ドイツ語
民族 ゲルマン民族
宗教 キリスト教(カトリック、プロテスタント)、イスラム教
独立年 1866年にドイツ連邦から独立
国旗の比率 3:5
在留邦人数
16人

Information


リヒテンシュタイン国旗
(3:5)


スポンサードリンク

関連記事

関連のある国旗