アイルランド
国旗のデザインの意味と由来
緑はケルトの伝統とカトリックなど古来の伝統要素を、オレンジは17世紀後半のイングランド王ウィリアム3世(オランダ出身で英国の王位を継いだ、新教徒のオラニエ公ウィリアムのこと)の支持者とプロテスタント(新興要素)を、白は両者の結びつきと友愛をあらわしています。
アイルランドでは、数世紀に渡って黄色いハープ(竪琴)を配した緑の旗が使われていました。
最初にアイルランドで縦3分割の旗が掲げられたのは、1830年に七月革命後のフランスで復活した三色旗を祝ってのことでした。そして、フランスで二月革命が起こった1848年、アイルランドの革命委員会(青年アイルランド党)は、指導者トマス・フランシス・メガーがパリから持ち帰ったこの緑・白・オレンジの三色旗を国旗にすることを発表しました。そして1916年のイースター蜂起(大反乱)の際に「Irish Republic」と書かれた緑の旗とともに掲げられたことから、三色旗が独立を目指すための旗と位置付けられるようになり、英国からの政治と宗教の解放のシンボルとなりました。
しかし、1919年までは公式に使用することは禁じられていました。1921年、北部6州を除く26州がイギリスの自治領に昇格する際、国旗として採用することになり、1937年に正式に国旗に制定されました。ちなみに、コートジボワールの国旗🇨🇮と左右逆の配色となっています。
アイルランドの国章
国章は青い盾型紋章で、中に金色のハープ(竪琴)が配されています。ベースの青は、聖パトリックの青。また、ヘンリー8世が自身をアイルランド王国の王であると宣言した際、その紋章は青地にハープだったといいます。1534年頃のヘンリー8世の治世に、アイルランドの硬貨に最初に登場しました。
17世紀から18世紀にかけて、ハープは次第に装飾が増し、最終的には「翼のある乙女」になりました。今でもイギリスの王家の旗においては、アイルランドは青地に「翼のある乙女」のハープであらわされています。
アイルランドの国名について
先住民であるケルト人が「ニール」と呼んでいたのを、12世紀にこの地を征服したイギリス人が英語化し、それに「ランド」が付けられた。「西側の地」という意味。
アイルランドの国旗の歴史
アイルランドは、イギリスの西方、アイルランド島の大半を占める島国です。年中牧草が育っている景観から「緑の島」と呼ばれますが、荒地も多く、度重なる飢饉によって現在の人口を上回る多くの島民が海外に移住していきました。
古くはケルト人が住んでいましたが、12世紀以降イングランドの勢力下に入り、植民地支配と厳しいカトリック弾圧が繰り返されました。
アイルランド民族旗
1641年、アイルランドで反乱が起きた時に使われていたのは、中央に「翼のある乙女」のハープが描かれている緑色の旗でした。「グリーン・フラッグ(緑旗)」や「オニールのハープ」の愛称で知られています。
イングランド共和国領アイルランド域旗
1649年、クロムウェルがアイルランドに攻め入り、イングランド共和国領アイルランドとなり域旗が制定されました。こちらは1653年から使われていた旗。左上と右下にイングランド旗🏴、右上にスコットランド旗🏴、そして左下にオニール・ハープの青旗、そして中央にクロムウェルの紋章が置かれていました。
グレートブリテン連合王国領の旗
1801年、イギリスがアイルランドを併合。左上にイギリス国旗、右にオニール・ハープを配した旗を使いました。この旗はグリーン・エンサインと呼ばれています。
こうしてイギリスに強制的に併合されてしまったアイルランドですが、長年の独立運動を経て、1922年に北部を除いた地域が自治領に昇格し、1949年、イギリス連邦を脱して完全に独立しました。
1973年にはヨーロッパ共同体(EC、現在のEU)に加盟。1970年代にはキリスト教のプロテスタントが多数を占める北部6州で、カトリック住民とプロテスタント住民が対立し、テロや紛争が起こりましたが、1998年に和平が結ばれました。
アイルランドの場所と国データ
正式名称 | アイルランド |
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英語表記 | Ireland |
漢字表記 | 愛蘭(略記:愛) |
首都 | ダブリン |
略号 | IRL |
面積 | 7万300㎢(北海道よりひとまわり小さい) |
人口 | 約512万人(2022年国勢調査速報値) |
通貨 | ユーロ |
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言語 | アイルランド語、英語 |
民族 | アイルランド人 |
宗教 | キリスト教(カトリック)など |
独立年 | 1938年にイギリスから独立 |
国旗の比率 | 1:2 |
在留邦人数 | 2316人 |