ドイツ
国旗のデザインの由来と意味
ドイツの三色旗はシュワルツ・ロット・ゴルト(黒赤金旗)の愛称でよばれています。
1813年にナポレオン軍と戦ったときの義勇軍の制服(黒いマント、赤い肩章、金ボタン)が由来になっています。黒は勤勉と力、赤は自由を求める情熱、金(黄色)は栄誉と真理の輝きをあらわし、自由と統一の象徴とされている旗です。
ドイツの国名について
自称は「ドイッチュランド」で高地ドイツ語の「diutisk(民衆・同胞)」と「Land(国)」を併せたもの。つまりドイツは「民衆の国」です。英語の「Germany」はゲルマン民族の名で「異邦人・戦士」の意味。
ドイツの国旗の歴史
ドイツは、神聖ローマ帝国時代から「領邦」と呼ばれる多くの諸侯が寄せ集まった地域でした。いってみれば、小国家の分裂状態。プロイセンとオーストリアの二大国家の間で続いていた「意地の張り合い」もあり、フランスやイギリスが革命や改革を重ねて強国になっていく一方、ドイツはなかなか国家統一が果たせませんでした。
19世紀のはじめ、ドイツの学生達は「名誉、自由、祖国」をスローガンとし、黒・赤・金(黄色)の三色旗を旗印に抗議運動を行いました。次第に学生だけでなく多くの人々がこの旗を使用するようになり、1848年革命(ドイツ三月革命)では、ドイツ統一を求める自由主義者たちがこの三色旗をシンボルとしました。そして国家統一をはかるために開催されたフランクフルト国民議会で、ドイツ連邦の旗が制定されました。
1848年はヨーロッパ諸国で革命が相次いだ年です(諸国民の春)。各地で自由主義とナショナリズムが高まり、ドイツでも3月18日、ベルリンで軍隊と市民の大規模な衝突が起こりました。こうした中、ドイツ統一とドイツ国憲法制定を目指して行われたのがこのフランクフルト国民議会でした。結局、当時のプロイセン王は自由主義的な憲法を受け入れずに拒否し、統一は失敗に終わりました。
このフランクフルト国民議会の様子を描いた絵画の中には、議長席の上に高々と黒・赤・金旗が掲げられています。またドイツを擬人化した「女神ゲルマニア」の絵も飾られています。
女神ゲルマニアの胸に描かれているのは、15世紀以降の神聖ローマ帝国の紋章、双頭の鷲。
※ゲルマニアは、ドイツ国家またはドイツ民族全体を擬人化した像です。19世紀のロマン主義の時代や、自由主義や統一ドイツを求める声が高まった1848年革命の時代によく描かれました。
フランクフルト国民議会での試みも失敗に終わり、なかなか統一を達成できなかったドイツですが、1861年にプロイセン王ヴェルヘルム1世が即位すると、鉄血宰相と呼ばれたビスマルクの活躍により遂に統一を果たします。1871年にはドイツ帝国が成立しました。
第一次世界大戦敗戦後、ドイツはワイマール共和政という政治体制に変わりました。
1933年にアドルフ・ヒトラー率いるナチス党(国民社会主義ドイツ労働者党)が政権を握りファシズム(独裁政権)へと移行。1939年に勃発した第二次世界大戦では日本・イタリアの枢軸国と共に敗北しました。
大戦後は西ドイツ(ドイツ連邦共和国)と東ドイツ(ドイツ民主共和国)に分裂。1989年、東西を分断していたベルリンの壁が崩壊し、翌年の1990年に再統一を果たしました。
さて。ここまでドイツの歴史をざっくりと紹介してきましたが、ドイツは体制が変わるたびに国旗が変わっています。これは大国の国旗にしては例外的なことです。
歴代の国旗を見ていきましょう。
一番最初に紹介するのが、フランクフルト国民議会で制定されたドイツ連邦の旗です。
ドイツ連邦の旗
今の国旗とほぼ同じですが、縦横比が2:3でした。(現在の国旗の比率は3:5です)
北ドイツ連邦、ドイツ帝国の旗
1867年、北ドイツ連邦(プロイセン王国を主体に22の領邦から成立した連合体で、のちのドイツ帝国の母体となった)が成立したとき、黒・白・赤の三色旗が選ばれました。また、ドイツ統一後の帝政時代にもこの旗が使用されました。
ワイマール共和政時代の旗
1919年、第一次世界大戦で敗北したドイツは、共和国として再出発します。新たなドイツ、ワイマール共和国では、黒・赤・金(黄色)の旗がふたたび採用されました。
ドイツ連邦時代の旗と同じく、縦横比は2:3です。
ナチス政権時代の国旗
1933年からのナチス政権下では、当初は帝政時代と同じ黒・白・赤の三色旗を国旗にしていましたが、1935年に三色旗は破棄され、ナチス党旗だった鉤十字(かぎじゅうじ)の旗が正式な国旗に格上げされました。ハーケンクロイツの呼び名は、鉤十字のドイツ語です。
赤は社会的理念、白は国家主義的理念、ハーケンクロイツはアーリア人種の勝利のために戦う使命を。円形は全ドイツ民族の団結と一体化をあわらすとされていました。
ヒトラーは自身の著書『我が闘争』の中で、こう記しています。
私が自ら数え切れないほどの試行を重ね、赤地に白円、その中央に黒いかぎ十字という最終的な国旗を定めた。
試行錯誤の結果、私はまた旗の大きさと白円の大きさとの決定的な比率とかぎ十字の形状と厚みを発見した。
卐(右まんじ)も卍(左まんじ)も、古来から世界の多くの文化や宗教で使われてきたシンボルです。(サンスクリット語ではスワスティカと呼ばれます)
ヒンドゥー教や仏教、アメリカの先住民族、また日本でも家紋や漢字としても使用されていて、多くの場合幸運と吉兆の象徴とされてきました。
しかしヒトラーのもとでは「自分たちが一番優れた民族である」という主張に使われました。なぜそうなるのかというと、彼は、「ドイツ民族はアーリア人と呼ばれる卓越した人種である。その中でも雑種化していない純粋民族であるゲルマン民族が最も上等である」という確信を持っていて、そこに「卐のシンボルは、ドイツ民族のアーリア系文化に由来するはずだ」という憶測をこじつけたからです。
実際には、仏教の聖者をあらわすアーリアや、古代から世界で使われていた神聖なシンボルとは何の関係もありません。
ナチスはプロパガンダを盛大に行い、支持者にとっても反支持者にとっても強烈なイメージを植えつけました。こうして、幸運の象徴だった卐は、後の世界では一般的にナチスを思い浮かべるシンボルとなってしまいました。(ナチスと関係なく、卐のシンボルを使っている団体や旗もたくさんあります)
東ドイツ(ドイツ民主共和国)の国旗
第二次世界大戦後、東西に分断されたドイツでは、1959年までどちらも同じ国旗を使っていました。現在の国旗の三色旗です。しかし1959年、東ドイツは差別化のため紋章を付け足します。これに対し西ドイツはとても怒って、この旗を「仲たがいの旗」と呼んだそうです。
麦の穂は農民、ハンマーは労働者、コンパスは知識階級をあらわし、円内の赤は社会主義をあらわしていました。
ベルリンの壁がくずれたあと、西ドイツが東ドイツを吸収するという形で、国とともに国旗も消滅。東ドイツの人々は国旗から紋章を外し、統一を祝いました。
東西ドイツが統一した1990年以降は、現在の国旗が使われています。
ドイツの国データ
正式名称 | ドイツ連邦共和国 |
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英語表記 | Federal Republic of Germany |
漢字表記 | 独逸(略記:独) |
首都 | ベルリン |
略号 | DEU |
面積 | 35万7000㎢(日本とほぼ同じ) |
人口 | 8302万人 |
通貨 | ユーロ |
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言語 | ドイツ語 |
民族 | ゲルマン系ドイツ民族 |
宗教 | キリスト教(カトリック、プロテスタント)、ユダヤ教など |
独立年 | 1949年ドイツ連邦共和国成立 |
国旗の比率 | 3:5 |
在留邦人数 | 4万5784人 |