フランス
国旗のデザインの由来と意味
自由・平等・博愛をうたう「三色旗(トリコロール)」として有名なフランスの国旗。
青・白・赤の配色は、フランス革命の火蓋が切って落とされた、1789年7月14日のバスティーユ牢獄襲撃の翌日、国民軍総司令官ラファイエットが市民に与えた帽章の色に由来しています。
赤と青はパリ市の紋章の色、白はブルボン王家ゆかりの色。王様と国民の関係が良くなるようにとの願いからこの配色になったといわれています。
フランス革命の初期には、旗について公式に決められた規定はなかったため、色の順序が今とは逆だったり、横縞だったりとバラバラでした。
1794年に、今の青・白・赤の配色順の縦三色旗がフランス共和国の旗に定められました。赤色を旗尾側(外側)にしたのは、旗が青空にはためいたときによく目立つからです。
青を旗尾側にすると、空の色に紛れてしまって目立たなくなってしまうというデザイン上の配慮から赤が外側になりました。
また、3色の比率は、以前は旗竿側から30:33:37の比率がよく使われていました。これは旗がひるがえった時の美しさにこだわっていたためですが、最近(第二次世界大戦後)は海上での使用(軍艦や商船など)をのぞき、単純に3等分の旗が使われています。
フランスの国章(非公式)
第二次世界大戦後のフランスでは公式な国章は制定していません。こちらは国章に準ずる紋章で非公式のもの。ライオンの頭をのせフランス共和国をあらわす「FR」を配した黄色い盾、背後には古代ローマの執政官が正義のシンボルとして使った束桿斧(そっかんふ・斧のまわりに木の束を結びつけたもの)、月桂樹の枝と樫の葉。
フランスの国名について
ゲルマン民族大移動でこの地に侵入したフランク人(Frank)の名が由来。フランク人が投げ槍を主要な武器としていたため、「フランク」は「投げ槍」を意味する。
フランスの国旗の歴史
フランスの国旗の歴史については、こちらの記事でも詳しく解説しています。
ここでは、フランスの歴代の旗を見ていきます。
カペー朝フランス王国の国旗
987年、カペー朝がひらかれ、西フランク王国を起源とするフランク王国が成立。1226年にカペー朝のルイ9世が国旗を制定しました。様式化した花は「フルール・ド・リス」と呼ばれ、ユリの花ともアイリス(アヤメ)の花ともいわれています。中央の花弁は信仰をあらわし、騎士道と学問をあらわす花弁が左右から守るように置かれています。
ヴァロア朝フランス王国の国旗
1364年、ヴァロア朝のシャルル5世が国旗を変更しました。
ブルボン朝フランス王国の国旗
1638年、ブルボン朝のルイ13世が国旗を変更。中央に王冠、ユリの3つの花弁を描いた青盾、精霊勲章、盾の左右に天使。全体に黄色いユリの花をちりばめた白旗。
この旗にはジャンヌ・ダルクの軍旗の要素が取り入れられています。
フランス共和国の国旗
1789年にフランス革命がおこり、1790年にはフランス共和国の国旗が制定されました。現在の国旗とは赤と青の位置が逆になっています。1792年には現在の国旗と同じ青・白・赤の順番に色の配列が変わりました。
ブルボン王朝フランス王国国旗
1814年、ナポレオンが失脚し王国が復活。国旗は無地の白旗になりました。
フランス共和国の国旗
1848年、二月革命により第二共和制が成立。国旗は青・赤・白の縦三色旗。同年5月には再び変更され、青・白・赤の縦三色旗が復活。以後は青・白・赤の国旗が継続して使用されています。
近年の国旗の配色ついて
フランス国旗の規定では、青・白・赤の配色について細かい色合いは決められていません。
しかし、現在の第五共和制のもとで、旗の色合いに2度の変更があり、その時々で推奨される色が存在しています。
一度目は1974年、ジスカール・デスタン大統領が、青色をネイビーブルーからより明るい「コバルトブルー」とすることを決定しました。この変更は、EUの旗に合わせて変えられたとか、フランス革命を彷彿させる配色が「武勇的すぎる」と判断されたからだともいわれています。
二度目は2020年、エマニュエル・マクロン大統領によって、フランス海軍が使用してきた配色(海軍の水路海洋調査局によって発行されている仕様書にもとづく)、つまりは青色の部分がネイビーブルーに変更されました。2018年あたりから大統領の演説時などに掲げられていたらしいのですが、国民への発表がなかったため誰も気づかないまま時が過ぎ、2021年の9月に出版された、ジャーナリストによる本『エリゼ・コンフィデンシャル』(大統領府の内幕が綴られた)によって広く知られることになりました。マクロン氏は、「フランス革命直後に採用された当時の三色旗の色に戻したかった」と説明しました。
とはいえ、明るい青を使っても間違いではありません。あくまでも「推奨」であり、例えばフランスの公立学校などに掲げられている国旗を変更させるなどの強要はされません。
フランスの国旗の影響
市民革命によって誕生したフランスの三色旗(トリコロール)は、その後にできた近代国家の国旗に大きな影響を与えました。縦三分割の構成や、青・白・赤の3色の色が採り入れられたりしています。
縦三分割旗では、ルーマニア🇷🇴、アイルランド🇮🇪、ベルギー🇧🇪、イタリア🇮🇹、メキシコ🇲🇽、ギニア🇬🇳、コートジボワール🇨🇮、チャド🇹🇩、マリ🇲🇱、セネガル🇸🇳、カメルーン🇨🇲など。
フランスの3色を採用した例では、パラグアイ🇵🇾、カンボジア🇰🇭などがあります。
フランスの歴史(略史)
- 紀元前9世紀頃からケルト人が住んでいた。紀元前2世紀、ローマに支配された。5世紀になるとフランク族が侵入しメロヴィング朝をおこし、800年にカール大帝が西ローマ皇帝について、西ヨーロッパのほぼ全域を支配した。イギリスとの百年戦争(1337〜1453年)を経て、国土を統一。
- 16世紀にはカルバン派の新教徒とカトリックの旧教徒との争い(ユグノー戦争)がおこって国内は混乱するが、17世紀、ルイ14世のもとで絶対王政が築かれた。
- 1789年、フランス革命がおこり、王制が廃止され共和制に。1804年、ナポレオンが皇帝につき帝政になる。その後、王制(1815年〜)、第二共和制(1848年〜)、第二帝政(1852年〜)を経て、1870年にプロイセンとの普仏戦争にやぶれて第三共和制が成立した。
- 第一次世界大戦では戦勝国となったが、第二次世界大戦では、北部をナチス・ドイツに占領され、南部はナチスに協力的なビシー政権のもとに置かれた。1944年の連合国側の総攻撃によりパリは解放され、翌年、ドイツは降伏。
- 1946年に第四共和制、1958年に第五共和制が発足。
- 1967年、ドイツなどとヨーロッパ共同体(EC、現在のEU)を結成し、ヨーロッパの統合の中心国のひとつとなっている。
フランスの場所と国データ
正式名称 | フランス共和国 |
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英語表記 | French Republic |
漢字表記 | 仏蘭西(略記:仏) |
首都 | パリ |
略号 | FRA |
面積 | 54万4000㎢(日本の約1.5倍) |
人口 | 約6,804万人(2023年1月1日、フランス国立統計経済研究所) |
通貨 | ユーロ |
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言語 | フランス語 |
民族 | フランス人、バスク人、アラブ人など |
宗教 | キリスト教、イスラム教、ユダヤ教 |
独立年 | - |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 4万2712人 |