キプロス
国旗のデザインの意味と由来
キプロスの国旗🇨🇾は、白地に、金色(黄色)に浮かび上がるキプロス島と、2本のオリーブの枝が描かれた旗です。金色は、古来から黄銅(銅と亜鉛の合金)の産地として知られていたことをあらわし、2枝のオリーブは、ギリシャ系の住民とトルコ系の住民の友好協力をあらわします。
キプロスでは、国民の8割がギリシャ系、2割がトルコ系です。1960年にイギリスから独立するとき、キプロスの国旗は「ギリシャ系とトルコ系、どちらの民族にも寄らない中立的なデザインを採用する」と決められました。そして、ギリシャを象徴する青、トルコを象徴する赤のどちらも入れず、キリスト教にもイスラム教にも染まらない白地に、平和の象徴であるオリーブの枝をあしらったデザインに決まったのです。
しかし、国旗に込められた願いもむなしく、現在キプロスは事実上、国が二分された状態に陥っています。
北部(北キプロス・トルコ共和国)では独自の旗を掲げ、南部はギリシャの国旗を掲げることが多いため、キプロスでこの国旗が使われることはほとんどありません。
北キプロス・トルコ共和国
北部の、北キプロス・トルコ共和国の国旗は、トルコ国旗🇹🇷の赤と白の色を反転させたデザイン。2本の線はトルコと北キプロス両政府をあらわし、白地はキプロスの国旗を基調にしたといわれています。
南北分裂の背景
第二次世界大戦後、イギリス統治下のキプロスで、ギリシャへの併合を目指す運動(エノシス運動)が起こり、トルコ系民族との溝が深まりました。このキプロスの帰属問題をめぐり、イギリス、ギリシャ、トルコの3ヵ国で協議が行われた結果、解決策としてキプロス共和国の独立が決まりました。
しかし独立後、ギリシャ系住民とトルコ系住民の間で内戦が起こります。住民保護の名目で、トルコ軍が侵攻し北部を軍事占領。1983年には北キプロス・トルコ共和国の名で独立を宣言しましたが、独立を認めているのはトルコだけ。国際的にはこの独立は認められていません。
首都ニコシアの中央部には、国連軍によって「グリーンライン」と呼ばれる南北の境界線が引かれ、それ以来キプロスは南北に分断された状態が続いています。
キプロスの国章
平和のシンボルの白い鳩がオリーブの枝を加えたデザインの、金色の盾型紋章。盾の周囲にはオリーブの枝のリース。鳩の下に記されているのはイギリスから独立した年の年号「1960」です。
この国章は、国旗と同様に2006年に制定されたものです。もともと1960年に制定されたデザインがモデルとなっていて、全体的にモダンなデザインに変更されました。
キプロスの国名について
古代ギリシャ語の「kyparissos(キパリソス/糸杉)」が由来という説と、古代ギリシャ語の「Ghalkos(銅)」が由来という説がある。いずれも古くからこの地に多かったもの。
キプロス島に流れ着いた、女神アフロディーテの伝説
地中海に浮かぶキプロス島は、古代ローマ時代から続く歴史を持ち、世界遺産や遺跡が多い美しい島国です。ギリシア神話では、愛と美の女神アフロディーテ(ローマ神話のヴィーナス)が西風に運ばれてこの島にたどり着いたと語られています。ルネサンス絵画の代表的人物、ボッティチェッリの有名な絵画『ヴィーナスの誕生』は、これを題材として描かれました。
海の泡から生まれたアフロディーテは、ギリシャから西風ゼヒュロスに吹かれてキプロスのペトラ・トゥ・ロミウ海岸近くに流れ着きました。そして季節の女神ホーラたちによってオリュンポス山に連れていかれ、ゼウスが美しさを称賛したといいます。
キプロスの歴史(略史)
- 紀元前からギリシャに支配され、ペルシャやエジプトに支配されたのち、紀元前1世紀にローマ領となる。
- 7世紀にイスラム教の勢力が支配を広げるが、11世紀末からヨーロッパの十字軍による遠征の結果、イギリス、フランス、イタリアによる統治が続く。1571年にはオスマン帝国の領土となる。
- 1878年、イギリスが行政権を得て、1925年に植民地とする。1954年から起こった反英運動の結果、1960年に独立。
- 1963年、ギリシャ系住民とトルコ系住民との間で内戦。1974年のギリシャ系住民によるクーデターに対してトルコ軍が軍事介入し、北部を占領する。北部地域は1983年に北キプロス・トルコ共和国として独立を宣言するが、国際的には認められていない。
- 2004年に南部のキプロス共和国のみがEU(ヨーロッパ連合)に加盟。南北の統合問題は現在も未解決。
キプロスの場所と国データ
正式名称 | キプロス共和国 |
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英語表記 | Republic of Cyprus |
漢字表記 | 塞浦路斯 |
首都 | ニコシア |
略号 | CYP |
面積 | 9251㎢(四国の約半分) |
人口 | 119万人 |
通貨 | ユーロ |
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言語 | ギリシャ語、トルコ語、英語 |
民族 | ギリシャ系、トルコ系、その他(アルメニア系、マロン派など) |
宗教 | キリスト教(ギリシア正教、マロン派、アルメニア教会派など) |
独立年 | 1960年にイギリスから独立 |
国旗の比率 | 3:5 |
在留邦人数 | 55人 |