クロアチア
国旗のデザインの由来と意味
クロアチア国旗🇭🇷の白・青・赤は、汎スラブ色と呼ばれる、東ヨーロッパのスラブ人共通の起源をあらわす配色。
中央の国章のうち、赤・白の市松模様はシャホヴニツァと呼ばれていて、伝統的にクロアチア民族をあらわす模様です。シャホヴニツァの上には、クロアチアを構成してきた中世以降の5地域の紋章が、王冠のような形で並んでいます。
この国旗と国章は、クロアチアの前衛的なグラフィックデザイナーとして活躍した、ミロスラヴ・シュテーによってデザインされました。
さて。クロアチアで、汎スラブ色を使った旗が初めて使われたのは1848年のことです。当時の宗主国、オーストリア帝国に対する反乱旗として掲げられたのが始まりでした。
1918年、セルビア、スロベニアとともに統一王国(セルブ=クロアート=スロヴェーン王国)を建国してからは3国共通の旗となりましたが、1945年にユーゴスラビア連邦の一員になってからは、中央に大きな赤い星の付いた三色旗が使われました。
1990年、ユーゴスラビアからの独立を前に、クロアチアは国旗を制定しましたが、当初は今とは少し違うデザインでした。
はじめは国章に5つの紋章がなく、伝統的なシャホヴニツァだけが置かれていたんですね。結局この国旗を制定した半年後、国章には5つの紋章が加えられ、国旗も変更されました。
クロアチアの国章
左から、中央クロアチアをあらわす六角星と三日月(古クロアチア王国)、ラグーサをあらわす2本の赤い横縞(ラグーサ共和国)、ダルマチアをあらわす3頭の黄金の豹(ダルマチア地方)、イストリアをあらわすヤギ(イストリア地方)、スラボニアをあらわす黒テン(スラボニア地方)。
また、市松模様の赤は海岸部を、白は内陸部をあらわしています。
クロアチアの国名について
6〜7世紀にこの地にやってきた南スラブ系クロアチア人の名前に由来。スラブ語の「gora(山)」から「山の民」を意味する。
クロアチアの歴史(略史)
クロアチアは、1991年、旧ユーゴスラビア連邦の解体に伴い新たに独立国としてスタートを切った新興国です。中世以降はオーストリアやハンガリーの支配下に入り、オスマン帝国との緩衝地として役割を果たしてきました。
しかし、歴史的にハプスブルク家の伝統や影響が色濃く投影され、国民はカトリックを信仰しています。こうした面からも、セルビア正教を採り入れた旧ユーゴスラビア連邦最大の国、セルビアとは、古くから覇権争いも含めて、しばしば衝突を繰り返しました。1991年には独立を宣言して連邦軍と戦闘し、セルビア系住民の多いクライナ地方を失いましたが、1995年8月に武力で奪還。12月には包括和平協定を締結しました。
余談ですが、16世紀に海賊が築いたドゥブロヴニクの旧市街は、巨大な石の壁に囲まれた美しい街。ヨーロッパ屈指の観光地で世界遺産にも登録されていて、スタジオジブリの映画『魔女の宅急便』や『紅の豚』のモデルの街としても有名です。またクロアチアは、ネクタイの発祥の地としても知られています。
- 6〜7世紀頃、南スラブ民族のクロアチア人が移住し、キリスト教のカトリックが広まる。
- 9世紀半ば、クロアチア王国が成立。12世紀にハンガリーの支配下に、16世紀にはオーストリアのハプスブルク家の支配下に入った。
- 1918年、セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(セルブ=クロアート=スロヴェーン王国)を形成。1929年、国名をユーゴスラビア王国へと改める。
- 第二次世界大戦ではドイツ軍に占領されるが、戦後はバルカン半島の6つの共和国からなるユーゴスラビア社会主義連邦共和国を設立した。
- 1991年、連邦からの独立を宣言すると、連邦軍が介入し戦闘状態となる。1995年に和平が成立。
- 2013年、EU(ヨーロッパ連合)に加盟する。
クロアチアの場所と国データ
正式名称 | クロアチア共和国 |
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英語表記 | Republic of Croatia |
漢字表記 | 呉呂茶 |
首都 | ザグレブ |
略号 | CRO |
面積 | 5万6594㎢(九州の約1.5倍) |
人口 | 409万6000人 |
通貨 | クーナ |
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言語 | クロアチア語 |
民族 | クロアチア人、セルビア人 |
宗教 | キリスト教(カトリック、セルビア正教)など |
独立年 | 1991年にユーゴスラビアから独立 |
国旗の比率 | 1:2 |
在留邦人数 | 160人 |