ボスニア・ヘルツェゴビナ
国旗のデザインの由来と意味
青・黄の配色と星を使った図柄は、EU(ヨーロッパ連合)の旗がモデル。独立までのEUからの支援やヨーロッパ諸国との友好をしめし、またこの国がヨーロッパに属していることを強調したデザインとなっています。
三角形は国土の形を図案化したもので、三角形の3辺は、主な3民族(イスラム教徒のボシュニャク人、セルビア人、クロアチア人)の融合と共存をあらわし、黄色は希望をあらわしています。
並んだ星が見切れていますが、このように、配置したシンボルを全て見えていない状態で使用することは、国旗では珍しい例です。これには理由があり、上下2つの星を半分ずつにすることで、この国が永遠に発展していくように。という思いをデザインに込めたからなんです。
確かに、例えば壁紙や模様の世界では、その図柄をいくらでも繰り返し永遠に使えるように、要素が見切れたパターンが提供されたりしますよね。
旧ユーゴスラビアを構成していた国のひとつだったボスニア・ヘルツェゴビナは、1991年のユーゴ解体に伴い、1992年に独立を宣言しました。しかし、民族間の感情が折り合わず、激しい内戦へと発展しました。もともと、独立とほぼ同時に紹介された国旗はこんなデザインでした。
平和と純潔をあらわす白地に、斜めの白線が入った盾。その中に特産のボスニアユリの花柄を配した旗でしたが、国内のセルビア人とクロアチア人からは支持を得られませんでした。
1995年、内戦が終結すると、3民族代表からなる国家委員会は新しい国旗を制定しました。
それが現在の国旗です。国旗の改定は、1998年の長野冬季オリンピックに間に合うようにと進められていましたが、この旗に決まったのはオリンピック開幕の前日。翌日の入村式までにはまだ本国からの公式連絡はなく、上に挙げた、白地に青い盾の旗を暫定的に使いましたが、7日の開会式以降、この国旗が長野の空に翻りました。なんと、日本で初めて掲揚された旗なんです。
ボスニア・ヘルツェゴビナの国名について
「ボスニア」は、北部を流れるボスナ川「Bosna(清い)」の英訳、「ヘルツェゴビナ」は、15世紀にこの地に統一された領地を「Herzog(軍司令官領)」と呼んだことに由来する。
EU(ヨーロッパ連合)の旗
ボスニア・ヘルツェゴビナの歴史(略史)
この国は、ユーゴスラビアの崩壊の過程でとても激しい武力対立(ボスニア紛争)が続いた地域です。
1995年11月のディトン合意で和平が叶い、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国からなる、1国家2政府という変則的な国家連合が成立しました。
- 7世紀頃、クロアチア人やセルビア人が定住を始める。
- 12世紀後半、ボスニア王国が成立。
- 15世紀にオスマン帝国の支配下に入り、イスラム教が広まる。
- 1908年、オーストラリア・ハンガリー帝国に併合され、1914年、サラエボでのオーストリア皇太子暗殺事件をきっかけに、第一次世界大戦が始まる。
- 1918年、セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国(セルブ=クロアート=スロヴェーン王国)が成立し、第二次世界大戦後の1945年、ユーゴスラビア連邦人民共和国内の一共和国となる。
- 1991年、連邦からの独立を宣言すると、その問題をめぐり、セルビア人、クロアチア人、イスラム教徒のボシュニャク人が対立し、激しい内戦に突入。
- 1995年に和平を結び、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国からなる連合国家が成立した。
ボスニア・ヘルツェゴビナの国データ
正式名称 | ボスニア・ヘルツェゴビナ |
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英語表記 | Bosnia and Herzegovina |
漢字表記 | 波斯尼亜・黒塞哥維那 |
首都 | サラエボ |
略号 | BIH |
面積 | 5万1000㎢(九州の約1.3倍) |
人口 | 353万1000人 |
通貨 | 兌換(だかん)マルク |
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言語 | ボスニア語、セルビア語、クロアチア語 |
民族 | ボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人など |
宗教 | イスラム教、キリスト教(セルビア正教、カトリック) |
独立年 | 1992年にユーゴスラビア連邦から独立 |
国旗の比率 | 1:2 |
在留邦人数 | 31人 |