ベラルーシ
国旗のデザインの意味と由来
赤はベラルーシの歴史(または栄光の社会主義)、緑は森林と明るい未来をあらわしています。旗竿側の赤白の模様は、ベラルーシの伝統的な織物の文様を図案化したもの。民族の文化と精神の連続性をあらわすとされています。
この国旗は、旧ソ連時代の旗から、星と鎌とハンマーを取り除き、模様の色を反転した上で復活させたもので、「ヨーロッパ最後の独裁者」といわれるルカシェンコ大統領がデザインの調整を図りました。
ベラルーシの国名について
スラブ語の「bela(白い)」「Rus(ロシア)」から、「白いロシア人」という意味。白は、13世紀にモンゴル人が侵入したとき、その支配下に入ったロシア人(黒いロシア人)と異なり、束縛を受けなかったことに由来する(白いロシア人)。またもうひとつ、ベラルーシは小麦の産地であるため「小麦畑が真っ白な絨毯のように見えるから」という説もある。
ベラルーシの国旗の歴史
ベラルーシは、かつては「白ロシア」の名で呼ばれていた、旧ソ連構成国のひとつ。リトアニア、ウクライナと同様、ロシアとポーランドが領土をめぐって、取ったり取られたりを繰り返してきた地域です。
ロシア革命後に一時的に臨時政府を樹立しましたが、歴史上ベラルーシ人による統一国家が作られたことは、1991年にソ連から独立するまで一度もありませんでした。
- 13世紀以降リトアニア大公国とポーランドに支配される
- 18世紀末「ポーランド分割」によってロシア領となる
- 1919年にベラルーシ・ソビエト社会主義共和国(白ロシア・ソビエト社会主義共和国)が成立
- 1922年、白ロシア共和国としてソ連邦に参加
- 第二次世界大戦ではドイツ領に占領されて独ソ両軍の戦場となり、住民の約3分の1が犠牲となった
- 1991年、国名をベラルーシ共和国に改める。ソ連邦解体に伴い独立
- 1994年以来、ルカシェンコ大統領による政治が続き、その強権政治に批判が起こっている
ベラルーシ人民共和国
1918年、第一次世界大戦中にベラルーシを占領していたドイツ軍が撤退し、ベラルーシ人民共和国が成立。白・赤・白の横三分割旗が国旗になりました。
赤と白は、かつてのリトアニア大公国の紋章の色。白地は国名の由来になった白ロシア人の民族色でもあり、「国土・自由・独立」をあらわします。中央の赤い帯は、白が象徴する理念を侵害するものに対して、国民の血で守る決意を意味すると解釈されました。
ベラルーシでは、ソ連から独立した後の1992年から95年にもこの旗が使われました。
白ロシア・ソビエト社会主義共和国
1919年、リトアニアが分かれて、ベラルーシ・ソビエト社会主義共和国(白ロシア・ソビエト社会主義共和国)が成立。左上にキリル文字ベラルーシ語で、国名の略号を黄色で描いた赤旗が国旗になりました。
1951年に変更された国旗。今の国旗に近いですが、左上に社会主義のシンボル、五稜星と鎌とハンマーが置かれています。
ベラルーシ共和国
1991年、ソ連邦解体にともない、現在のベラルーシ共和国として独立。初めは1918年に制定した、白・赤・白の国旗を復活させましたが、1995年にこのデザインに変更しました。
社会主義のシンボルが除かれ模様の色も反転していますが、ソ連邦時代の旗とあまり変わっていません。ソ連邦を形成していた国々(NIS諸国)は、独立後、全く違うデザインの国旗を使っているのに、なぜなのでしょう。
その理由は、親ロシアの姿勢を続けているルカシェンコ大統領が、ソ連時代の国旗のイメージを保ち続けたいと主張したからです。国民投票によってこの国旗が採択されたのですが、ルカシェンコ大統領は、「ソビエト時代の旗の復活が、国民に若々しい感覚と楽しい思い出をもたらした!」と宣言したといわれています。
さらに2012年、模様部分のデザインがリニューアルされ、現在の国旗になりました。
ベラルーシの国データ
正式名称 | ベラルーシ共和国 |
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英語表記 | Republic of Belarus |
漢字表記 | 白露西亜 |
首都 | ミンスク |
略号 | BLR |
面積 | 20万7600㎢(日本の約半分) |
人口 | 949万人 |
通貨 | ベラルーシ・ルーブル |
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言語 | ベラルーシ語、ロシア語 |
民族 | ベラルーシ人、ロシア人、ポーランド人、ウクライナ人 |
宗教 | キリスト教(ロシア正教、カトリック)など |
独立年 | 1991年にソ連邦から独立 |
国旗の比率 | 1:2 |
在留邦人数 | 70人 |