アンドラ
国旗のデザインの意味と由来
アンドラは、フランスとスペインを隔てているピレネー山脈の中にある、東京23区より小さい極小国です。13世紀以降、フランスと、スペインのウルヘル司教が共同でアンドラを統治してきました。そのため、フランスの三色旗(トリコロール)とスペインの血と金の旗(ロヒグワルダ)のデザインが大きく反映された国旗になっています。
旗の青はフランスの国旗から、黄色はスペインの国旗から、そして赤は両方の国旗からとっているという説、青はフランス赤はスペイン、黄色はローマ・カトリックをあらわすという説、あるいは、縦三色旗なのはフランスのトリコロールから、色はスペインの国旗から踏襲しているという説もあります。さらに一説には、フランスのナポレオン3世が考案したともいわれています。
民間旗では国章が除かれますが、そうするとルーマニア🇷🇴、チャド🇹🇩とほぼ同じデザインになります。ルーマニアとチャドの国旗の縦横比は 2:3 、アンドラの国旗は7:10 です。また、アンドラの国旗は、縦三分割の比率が8:9:8で真ん中の黄色い部分が少し太くなっているのが特徴です。
アンドラの国章
盾型紋章の国章。左上には、共同元首のひとり、ウルヘル司教をあらわす赤地に白×黄色の司教冠と黄色い司教の杖。右上にはもうひとりの共同元首であるフランスのフォア伯爵家の紋章に由来する、黄色地に赤い3本の縦縞。
左下は、スペイン・カタルーニャ州の紋章である黄色地に赤い4本の縦縞。右下は、フランスのベアルン子爵家の紋章で、黄色地に2頭の赤牛。国章の下部には、国の標語である、Virtus Unita Fortior「力を合わせれば強くなる」の文言がラテン語で記載されています。
アンドラの国名について
紀元前1世紀〜紀元後3世紀にかけての古アンドラ王国の名に由来する。語源は、中世アラビア語の「アルダーラ(樹の生い茂る場所)」だと言われている。
アンドラの歴史(略史)
9世紀のはじめ、フランス国王ルイ1世が、スペインの小都市ウルヘルの司教に主権をゆずり、ウルヘル伯領が成立。10世紀にはウルヘル司教とフランスのフォア伯爵が統治をめぐって争い、1278年、両者による共同統治となりました。(フォア伯爵の権限は、その後フランス国王に引き継がれました。)
1993年、国民が主権を持つとする新憲法が可決され、国家として独立しました。しかし引き続き、フランス大統領とウルヘル司教が共同の国家元首となっています。
アンドラには政府が存在しなかったため郵便局がなく、街には四角いポストと黄色の円形型ポストが並んで建っているそう。国民は、四角い方にはフランスの切手を貼った郵便物を、円筒形の方にはスペインの切手を貼った郵便物を出すと、それぞれの国の郵便局が回収に来るのだとか。
アンドラの場所と国データ
正式名称 | アンドラ公国 |
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英語表記 | Principality of Andorra |
漢字表記 | 安道爾 |
首都 | ティラナ |
略号 | AND |
面積 | 468万㎢(東京都の約5分の1) |
人口 | 8万人(IMF2021年) |
通貨 | ユーロ |
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言語 | カタルニア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語 |
民族 | スペイン系、アンドラ人、ポルトガル系 |
宗教 | キリスト教(カトリック)など |
独立年 | 1278年にアラゴン連合王国から独立 |
国旗の比率 | 7:10 |
在留邦人数 | 11人 |