アルバニア
国旗のデザインの意味と由来
アルバニアは、400年以上にわたりオスマン帝国(現在のトルコ)の勢力下にありました。国旗には、オスマン帝国のシンボルカラーである赤を地色に、黒の双頭の鷲(ワシ)が描かれています。この双頭の鷲は、15世紀にオスマン帝国の支配に抵抗した国民的英雄、ジェルジ・カストリオティ(通称スカンデルベグ)の紋章で、軍旗として考案したのが始まりだと伝えられています。
双頭の鷲はヨーロッパでは古代から使われているシンボルで、ローマ帝国以降、東洋と西洋の境で両方を睨み支配・警戒していることを示しています。
実はアルバニアは、現地では「シュチパリア」と呼ばれていて、これは「鷲の国」を意味するアルバニア語。アルバニア人が鷲の子孫であるという伝説に由来します。国民は自らが鷲の子孫であることを誇りとしているといいます。
アルバニアの国章
国章は、金色の縁取りをした赤い盾型紋章。
国旗にも使われている黒い双頭の鷲の頭上にあるのは、金色のスカンデルベグの兜(かぶと)。ヤギの角をつけた戦闘用のヘルメットです。
アルバニアの民族的英雄、スカンデルベグ
スカンデルベグは、中世アルバニアの君主でありオスマン帝国に抵抗した英雄です。幼い頃に父親の居城がオスマン帝国に占領され、11歳で人質としてコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)に送られ、宗教もカトリックからイスラム教へと改宗させられていました。
成長するとオスマン帝国の将として前線で活躍し、時のスルタン(皇帝)ムラト2世から目をかけられ「スカンデルベグ」(トルコ語で「İskender Bey」=アレクサンダー大王に由来する敬称)を贈られました。順調に昇進を重ね、オスマン帝国の支配下でアルバニアの軍司令官となったスカンデルベグ。ところが1443年、遠征中にアルバニア人の対トルコ蜂起の知らせを聞くと、突如オスマン帝国に反旗を翻したのです。
イスラムを棄教しカトリックに再改宗、アルバニアの有力首長の娘を妻に迎え、首長たちを結集してオスマン帝国と戦いました。またベネチア共和国やナポリ、ローマ教皇の支援を取り付け、アルバニアの北半を統一しました。
この裏切りにオスマン帝国は「卑劣なイスカンダル」と憤ったといいます。以後、オスマン帝国から幾度となく討伐軍を差し向けられましたが、スカンデルベグはそれらを全て撃退。ムラト2世の跡を継いだメフメト2世(征服王)が東ローマ帝国やセルビア、ボスニア、ワラキアなどを次々と制覇していく中で、アルバニアだけは陥落せず、25年間独立を持ち堪え続けました。
1468年、スカンデルベグはマラリアで亡くなります。彼の死を知ったメフメト2世は歓喜し、アジアとヨーロッパの統一事業が成せることを確信したといいます。スカンデルベグを失ったアルバニアは、11年後の1479年にオスマン帝国に屈しました。ようやく独立を回復したのは20世紀になってからのことです。
後に、スカンデルベグはオスマン帝国のヨーロッパへの拡大を遅らせた英雄と言われ、19世紀にアルバニア人の民族意識が高まると民族的英雄として高く評価され、アルバニアの独立運動と国民統合に大きな役割を果たしました。彼の肖像は、現在のアルバニアの5000レク紙幣にも使用されています。ちなみにアルバニア人はしばしば、胸の前で両手の甲をクロスさせる「スカンデルベグの鷲」のポーズで写真を撮ります。
アルバニアの国名について
アルバニア人が呼ぶ「シュチパリア」はアルバニア語で「鷲の国」。アルバニア人が鷲の子孫であるという伝説に由来するが、他称の「アルバニア」はラテン語の「albus(白い)」が語源とされ、語源を同じくするアルビオンと同様、アルバニアの地質が主に石灰岩質で白いことから「白い土地」と呼んだことに由来する。
アルバニアの国旗の歴史
アルバニアは、バルカン半島の南東部に位置する山がちな小国です。長い間オスマン帝国の支配下にあり、1912年に念願の独立を勝ち取りましたが、その後、第一次世界大戦・第二次世界大戦を通じ、ギリシャ、イタリア、ドイツの勢力下に入りました。
第二次世界大戦末期の1944年、エンヴェル・ホッジャ将軍らによって解放されると、1946年に社会主義体制の国として再出発します。以後約40年間、ホッジャの独裁体制による独自路線を歩みました。
社会主義国家だった時代の国旗
1944年、パルチザン(反ファシズム勢力の市民兵)とソ連の赤軍が、アルバニアを占領していたドイツ軍を破り社会主義臨時政府が成立しました。臨時政府の旗の左上には、黄色い鎌と槌(ハンマー)が配されていました。
鎌は農民の、槌はプロレタリアート(特に工員)の象徴で、組み合わせると農民と労働者の団結をあらわします。マルクス・レーニン主義の共産主義や共産党のシンボルとして有名ですね。
1946年、王制が廃止され社会主義体制になり、アルバニア人民共和国に改名。双頭の鷲の上に配された黄色い輪郭線の五芒星は、こちらも共産主義の象徴。旧ソ連の国旗では、五大陸における共産主義の最終的勝利を象徴するとされています。
この後、東西冷戦時代の1970年代から1990年まで、アルバニアは世界の国々と国交を断絶し、ほぼ鎖国状態にして孤立化の道をたどりました。しかし、1991年に独裁体制が崩壊。翌年、社会主義路線から撤退する際に、国旗の五芒星が削除され今の国旗となりました。
1991年以降は開放経済を始めましたが、それにより投資会社という名目で国内で大流行していたネズミ講が1997年に破綻。国民の3分の1が全財産を失い、暴動が発生するなどの混乱も起こっています。
アルバニアの場所と国データ
正式名称 | アルバニア共和国 |
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英語表記 | Republic of Albania |
漢字表記 | 阿爾巴尼亜 |
首都 | ティラナ |
略号 | ALB |
面積 | 2万8700㎢(四国の約1.5倍) |
人口 | 約276万人(2023年、アルバニア統計局) |
通貨 | レク |
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言語 | アルバニア語 |
民族 | アルバニア人 |
宗教 | イスラム教、キリスト教(ローマカトリック、正教)など |
独立年 | 1912年にオスマン帝国から独立 |
国旗の比率 | 5:7 |
在留邦人数 | 27人 |