イエメン



国旗のデザインの意味と由来


は自由と独立のために流された血を、は輝ける未来を、は過去の暗い時代をあらわしています。

1990年まで、イエメンは北イエメン(イエメン・アラブ共和国)南イエメン(南イエメン人民民主共和国)に分かれていました。2つの国が統合して現在のイエメン共和国となったときに作られたのが現在の国旗。北イエメンの国旗から星を取り除いたデザインです。
赤・白・黒の3色は、2つの国の国旗に共通して使われていた色でもあり、エジプト国旗の色を踏襲していました。アラブの統合を目指す「汎アラブ主義運動」を象徴した、汎アラブ色と呼ばれている配色です。


イエメンの国名について

イスラムの聖地メッカのカーバ神殿に向かって立つと、顔は東を向き、右手には砂漠とイエメンの地域が広がる。このことから、アラビア語で「右側」を意味する「Al yaman(アル・ヤマン)」という言葉が由来となった。やがて時代を経て、「アル・ヤマン」は南部のこの地方だけを指すようになったという。「アル・ヤマン」を英語化すると「イエメン」となる。


イエメンの国旗の歴史

イエメンは、アラビア半島の南端部、紅海とインド洋に臨む国です。紀元前10世紀頃には、古代シバ王朝がシバの女王のもとで栄えた国という伝説を持っていて、古くから地中海諸国と東アジアを結ぶ交易の中継点として繁栄。古代ギリシャ人やローマ人はこの地を「幸福のアラビア」と呼びました。

16世紀以降、オスマン帝国が支配していましたが、1839年にイギリスが港湾都市のアデンを占領し植民地としたため、南北での分断領有がはじまりました。

1918年、オスマン帝国の第一次世界大戦敗北にともない、北イエメン地域がオスマン帝国から独立(イエメン王国)。そして1962年のクーデターにより王制が廃止され、イエメン・アラブ共和国となりました。


旧北イエメン(イエメン・アラブ共和国)の国旗


北イエメン(イエメン・アラブ共和国)の国旗(1962 - 90)

王制が倒された北イエメンでは、汎アラブ主義を掲げた新政府が成立しましたが、サウジアラビアに亡命政府を樹立した王制派との間で1970年まで内戦(北イエメン内戦)が続きました。


旧南イエメン(南イエメン人民共和国)の国旗


南イエメンでは、1963年までイギリス支配が続きましたが、同年、南アラビア連邦に参加し、1967年には南イエメン人民共和国として独立しました。独立後、北イエメンと統合するまで使われていた国旗がこちら。


南イエメン(南イエメン人民民主共和国)の国旗(1967 - 90)

淡いブルーの三角形の中に置かれている五角星は、独立運動の中心となった民族解放戦線(NLF)の象徴だったものです。


イエメンの場所と国データ




正式名称 イエメン共和国
英語表記 Republic of Yemen
漢字表記 也門
首都 サヌア
略号 YEN
面積 55万5000㎢(日本の約1.5倍)
人口 2892万人


通貨 イエメン・リアル
言語 アラビア語
民族 主にアラブ人
宗教 イスラム教(スンニ派、シーア派の一派であるザイド派)など
独立年 北イエメンは、1918年にオスマン帝国から独立
南イエメンは、1967年にイギリスから独立
国旗の比率 2:3
在留邦人数 5人

Information


イエメン国旗

YEMEN
(3:5)


スポンサードリンク

関連記事

関連のある国旗