タイ
国旗のデザインの由来と意味
タイでは「トン・トライロング(タイ三色旗)」、あるいは「トライランガ」と呼ばれている国旗。
赤は国民を、青はタイ王室をあらわし、白は仏教による加護と、国民の純粋な信仰心をあらわしています。また、白は白い象(ゾウ)に由来した色です。1916年までの国旗は、赤地に白い象が描かれたものでした。
象はタイを代表する動物で、中でも白象は昔から神聖な存在とされてきました。釈迦(仏陀)の母が、白い象がお腹に入る夢を見て釈迦を身ごもったことを知る。という逸話もあり、白象は釈迦の化身とされています。さらに白い象を得た国王は、高い人徳を持ち人々から敬われると信じられていて、白象が生まれたり発見されたりすると国王に献上されるそうです。
また、かつてタイでは他国との戦争時、王は象に乗って戦いに臨みました。象は王を守り先頭を切って戦う、勇気と誇りの象徴ともされています。
タイの国章
翼を広げた、赤いガルーダの国章。ガルーダとは、インド神話にあるヴィシュヌ神の乗り物とされる、半身半鳥の霊鳥(れいちょう)。
タイの伝説である勇猛なプラ・ナライ王の従者として、邪悪に敢然と立ち向かう鳥とされています。ちなみにガルーダは、インドネシアの国章でも使われています。
タイの国名について
中国語の「タイ(大)」に由来し、「大きな・立派な」を意味するといわれていたが、最近では「自由」を意味する説も有力となっている。
タイの国旗の歴史
1782年、現在のタイ王国につながる、ラタナコーシン朝シャム王国が成立。
その時に作られた国旗がこちらです。
タイでは伝統的に無地の赤い旗が国旗として使われてきましたが、このとき、旗の中央にヒンドゥー教のヴィシュヌ神の力のシンボルである、円盤状の武器チャクラムが白で描かれました。
2代目のラーマ2世の時代には、そのチャクラムの中に白い象の絵が加えられます。(1817年)
4代目のラーマ4世の時代には、今度はチャクラムがなくなり、白い象が大きく描かれた国旗になりました。(1855年)
ちなみに、この大きな象の国旗を制定したラーマ4世は、映画やミュージカルで有名な『王様と私』のモデルとなった国王です。(ただ、原作小説や映画には誇張があることが知られており、タイでは不敬罪にあたるとして上映・上演は禁止されています。)
1916年には国旗のデザインが大きく変わり、赤・白・赤・白・赤の横縞の旗になりました。
その理由は、当時の国王ラーマ6世が、この年に起きた洪水で被災地を視察したとき、国旗が上下逆に、つまり神聖な白象がさかさまに掲揚されているのを見たためといわれています。
上下を間違えても影響のないデザインにするため、この白い横縞のデザインに変更しました。
翌年には、青を加えて赤・青・白の3色に配色を変更。現在のタイの国旗🇹🇭になりました。
これは、第一次世界大戦への参戦中、アメリカ🇺🇸やイギリス🇬🇧、フランス🇫🇷など、多くの連合国が国旗に採用していた3色からの影響とされています。また一説には、国王ラーマ6世の誕生日が金曜日ということから、金曜日をあらわす青に変えたともいわれています。
チャクリー改革で近代化を進めた、ラーマ5世
国旗を横縞に変更したラーマ6世の父親、ラーマ5世(在位1868-1910年)は、タイ王朝を支えた国民的な偉人として知られる「タイの3大国王」のひとりです。ラーマ5世が行なったチャクリー改革によって、タイでは、政府機関の再編成をはじめ、教育制度の確立、奴隷制の廃止、徴兵制の導入、鉄道や電話の整備など、近代国家の基礎がつくられました。
19世紀以降、東南アジアの国々が次々とヨーロッパの植民地となる中、タイは唯一独立を守りました。それは、このラーマ5世による近代化政策や、たくみな外交政策のおかげといわれています。
ラーマ5世は、アジアで独立を守ったもうひとつの国である、日本の明治天皇(在位1867-1912年)と比べられることも多い国王です。歴代の王の中でももっとも人気が高く、その命日は今でもタイの祝日とされています。
タイの歴史
タイは、インドシナ半島の中央部に位置する国。住民はシャム族を主体としたことから、かつての国はシャムと呼ばれていました。国民の9割以上が仏教徒で、戒律の厳しい仏教の国としても知られ、厚い信仰心を持っているために「微笑みの国」とも呼ばれます。
もちろん他の宗教を信仰する人もいますが、国王は仏教徒でなければならないと憲法で決められていて、仏教が社会の基礎を形づくり、大きな影響を与えています。
ちなみに、日本の仏教は中国、韓国、ベトナムなどの北方を経由して伝わった「大乗仏教」ですが、タイの仏教はスリランカ、ミャンマー、カンボジア、ラオス等南方を経由した「上座部仏教」といいます。「大乗仏教」が誰でも成仏できる・誰でも悟りを開くことができると教えられているのに対し、「上座部仏教」は出家して悟りを開いた者だけが救われるとされています。
- 中国南部に住んでいたタイ人が南下し、11世紀にアンコール朝、13世紀にスコータイ朝、14世紀にアユタヤ朝と支配勢力が移り変わる。
- 1767年のビルマの侵攻により、アユタヤ朝が一時滅ぶが、1782年にラタナコーシン朝が成立。
- 19世紀以降はヨーロッパ勢力による東南アジアへの進出が続く中、国王ラーマ5世の進めた近代化などにより、唯一独立を続け、現在にいたっている。
- 1932年にタイ立憲革命により王制が廃止され、立憲君主制へと移る。
- 1957年以降はクーデターによる政権の交代が繰り返され、文民による政府と軍事力による政権の交代が続いている。
- 1967年成立の、ASEAN(東南アジア諸国連合)の初めからの加盟国。
タイの国データ
正式名称 | タイ王国 |
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英語表記 | Kingdom of Thailand |
漢字表記 | 泰国(略記:泰) |
首都 | バンコク |
略号 | THA |
面積 | 51万4000㎢(日本の約1.4倍) |
人口 | 6891万人 |
通貨 | バーツ |
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言語 | タイ語 |
民族 | 大多数がタイ族。マレー族など |
宗教 | 仏教、イスラム教 |
独立年 | 1238年にスコータイ王朝成立 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 7万2754人 |