タジキスタン
国旗のデザインの由来と意味
赤・白・緑の3色は、ソビエト連邦内のひとつの共和国だった時から国旗に使われている配色です。タジク人が元来イラン系民族であることから、イランの伝統色にもとづいたと考えられています。配列は違いますが、イランの国旗🇮🇷と同じ配色ですね。
赤は国家の主権、白は主な産業である綿花、緑は農産物をあらわします。中央には、7つの星に囲まれた王冠の紋章が描かれています。紋章全体で、タジキスタンの主権、すべての民族間の友情、労働者、農民、知的階級の連合をあらわすといいます。同時に、王冠は国民を示し、7つの星は天国にあると伝えられる7つの果樹園を示すとか、タジクに伝わる幸運と徳行をもたらす聖数だともいわれています。また、冠は国名の語源にもなっています。
タジク・ソビエト社会主義共和国の国旗
タジキスタンは、ソ連崩壊で独立した国のひとつ。独立後も内戦が続き政治が安定していなかったこともあり、加盟国の中では最後に国旗を変更しました。
タジキスタンの国章
1993年から使われている、社会主義国型の紋章。パミール高原の3つの雪山から昇る太陽、黄色い7つの星と冠。国旗カラーのリボンを巻いた小麦の穂と綿花の枝のリース。底部には、文化をあらわす開かれた本。
独立後の1992年、白いライオンが描かれた国章が制定されましたが、翌年この国章に変更されました。
タジキスタンの国名について
住民の大多数を占めるタジク系の名にペルシャ語の地名接尾語「-stan」で「タジク人の国」という意味。「タジク」は「Taji(タージ/王冠)」から生まれた言葉。
タジキスタンの歴史(略史)
タジキスタンは、中央アジアの南東部にある国です。東半分は、“世界の屋根”と呼ばれるパミール高原が連なり、国土の9割が険しい山岳地。住民は過半数がタジク人で、中央アジア5ヵ国の中で唯一、イラン系民族の国となっています。
紀元前4世紀にはアレクサンドロス大王によって制圧され、13世紀以降はモンゴル帝国、ティムール帝国、ブハラ・ハン国、コーカンド・ハン国など様々な国の支配下に入ります。19世紀にロシア帝国に併合され、1924年にタジク自治ソビエト社会主義共和国が成立。1991年に現在の国名となり独立を果たしました。
独立後は内戦が起こりましたが、1994年に就任したエモマリ・ラフモン大統領は、1997年に内戦を終結させます。その後現在まで続く独裁体制を築きました。
- 紀元前1世紀ころまでに移動してきたイラン系諸族を起源として、1〜3世紀にクシャーナ朝が支配。8世紀にアラブ人による支配がはじまり、イスラム教を受け入れる。
- 9〜10世紀に、サーマーン朝を樹立。13世紀以降はモンゴル帝国・ティムール帝国の支配を受ける。
- 19世紀にはロシア帝国に併合され、ロシア革命後の1929年にタジク・ソビエト社会主義共和国としてソ連邦のひとつとなる。
- 1991年に現在の国名に改めて独立。同年、旧ソ連諸国によって作られた独立国家共同体に加盟し、1992年には国際連合にも加盟する。
- 独立後の1992年に内戦が起こり、1994年に臨時に停戦が成立するが、断続的な戦闘状態が続き、1997年になって最終的に和平が成立した。
タジキスタンの国データ
正式名称 | タジキスタン共和国 | |
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英語表記 | Republic of Tajikistan | |
漢字表記 | 汰爾奇斯坦 | |
首都 | ドゥシャンベ | |
略号 | TJK | |
面積 | 14万3100㎢(日本の約40%) | |
人口 | 930万人 |
通貨 | ソモニ |
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言語 | タジク語、ロシア語 |
民族 | タジク系、ウズベク系、キルギス系、ロシア系、その他 |
宗教 | イスラム教(スンニ派、シーア派の一派であるイスマーイール派など) |
独立年 | 1991年にソ連邦から独立 |
国旗の比率 | 1:2 |
在留邦人数 | 36人 |