サウジアラビア
国旗のデザインの由来と意味
緑はイスラム教を象徴する聖なる色、白い剣は新月刀と呼ばれているもので、初代国王の勝利・イスラム教の力と聖地メッカの守護をあらわします。旗の中央にはアラビア語で、クルアーン(コーラン)の聖句「アッラーの他に神はなし、ムハンマドはアッラーの使徒である」と書かれています。この聖句はシャハーダといって、イスラム教徒になるときには、これを真摯に唱えます。
アラビア語は右から左に書く言語。いつでも旗竿側が右になるよう掲揚することとされ、縦に掲揚する場合は文字が横向きにならないよう、レイアウトを変更した特別な旗を使います。またこの国旗は、表と裏を貼り合わせて作られます。
神の神聖な文字が含まれているため、弔意をあらわす半旗掲揚にすることも禁止です。
サウジアラビアの国名について
「サウード家のアラビア」という意味で、「アラビア」は遊牧民をあらわす。「サウード」は国王の祖先であり、18世紀半ばに成立したサウード朝が現在の王国につながっているとされる。
聖地メッカのカアバ神殿と、イスラム教のはじまり
サウジアラビアは、イスラム教が興った地。メッカ、メディナの2つの聖地があり、メッカにはイスラム教でもっとも神聖だとされる場所、カアバ神殿があります。ここでは1年に1度(ヒジュラ暦における巡礼月の8日から12日にかけて)世界中のムスリム(イスラム教徒)が集う大巡礼「ハッジ」が行われます。また、ムスリムは一日に5回決まった時刻になると、このカアバ神殿があるメッカの方向に向かって礼拝を行います。
イスラム教の創始者、預言者ムハンマドは、570年頃にメッカで生まれました。
40歳の頃、洞窟の中で唯一神アッラーの啓示を受け、それを公に説き始めます。しかし当時は、メッカのアラビア人たちは多神教の神々を信仰していて、カアバ神殿も、多神教の神々を祀る神殿として使われていました。「アッラーの他に神はいない」と説くイスラム教の教えは迫害され、ムハンマドらは拠点を一時、メッカの北にあるメディナに移します(ヒジュラ・聖遷)。
やがて「種族や階級、貧富に関係なく、神の前では人は皆平等である」という教えは多くの人に支持され始め、ムハンマドたちは次第に勢力を拡大。ついにはメッカの支配層との戦いにも勝利し、アラビア半島全域をほぼ統一しました。
632年、ハッジから戻って数ヶ月後、ムハンマドは病に倒れて亡くなります。彼の生涯で最初で最後となったその巡礼は「別離の巡礼」と呼ばれ、ムハンマドが見せた礼拝の手順や所作が、その後の全世界のムスリムの儀礼における模範となりました。
現在はイスラム教徒だけが、メッカとメディナの聖なる都市を訪れることができます。
※上の細密画(ミニチュアール)には、預言者ムハンマドとカアバが描かれています。イスラム教では偶像崇拝が禁じられているため、苦肉の策で顔を描かずに表現されています。
サウジアラビアの歴史
サウジアラビアの正式名称は「サウジアラビア王国」。アラビア半島の大部分を占める石油国です。
政体はサウード家による絶対君主制で、ワッハーブ主義(イスラム教のスンナ派に属する宗派)に基づく厳格なイスラム教義を国の根幹とし、政教一致体制となっています。また、要職は王族が独占していて、王族の数が世界最大というギネス世界記録を持ちます。
もともとトルコ支配下の遊牧民とオアシス農民の居住地でしたが、第一次世界大戦後の1926年にヒジャーズ・ネジド二重王国が誕生すると、翌年イギリスから独立を認められ、1932年には「サウード家のアラビア」を意味する現在の国名となりました。石油は世界2位の、天然ガスは世界6位の埋蔵量を誇っています。
- 6世紀にイランのササン朝とビザンツ帝国の抗争で、東西の交易が両国の国境で途絶えると、アラビア半島に通商路が発達してメッカが栄えた。
- メッカの商人ムハンマドがイスラム教をひらくと、イスラム勢力は急速に拡大し、661年にウマイヤ朝が成立。それ以来、イスラム系王朝が続いた。
- 現在のサウード家王朝の成立は1902年。1932年に国名をサウジアラビアとする。
- 1938年の石油生産の開始から経済発展を遂げ、近代化が進む。
- 1991年の湾岸戦争以降、内政の改革を求める動きがおこり、2005年に初の地方議会選挙が行われる。
- 2013年には女性議員が30人選ばれた。2016年以来、イランとの国交が途絶えている。
サウジアラビアの国データ
正式名称 | サウジアラビア王国 |
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英語表記 | Kingdom of Saudi Arabia |
漢字表記 | 沙地亜剌比亜 |
首都 | リヤド |
略号 | SAU |
面積 | 215万㎢(日本の約5.7倍) |
人口 | 3370万人 |
通貨 | サウジアラビア・リアル |
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言語 | アラビア語 |
民族 | アラブ人 |
宗教 | イスラム教 |
独立年 | 1932年建国 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 947人 |