カタール
国旗のデザインの意味と由来
国旗では珍しい独特の海老茶色(赤茶色)は、もともとは赤でした。しかしカタールは、国土の大半が岩石がむきだしになった砂漠地帯。太陽光がとても強いのです。太陽光と染料のせいで、赤だった国旗は日焼けして変色し、赤い茶色になってしまいました。しかし、むしろ他の国と識別しやすいということから、1949年にこの赤茶色を正式に採用しました。
旗竿側の、ノコギリ型のギザギザ模様は、この国がかつて9つの首長国から成り立っていたことをあらわします(現在は7つ)。また、9番目の湾岸イギリス領だったからという説もあります。
現在では、赤茶色は国民の血の繋がり、または過去の戦争での犠牲を、白は平和と清浄をあらわすといわれています。また、国旗の縦横比は11:28。これは世界の独立国の中でもっとも横に長い国旗です。通常は2:3ないし3:5の比率の旗が掲げられることが多いです。
カタールの国名について
ペルシャ湾に突き出した形から、アラビア語の「点」や「部分」の意味となったとする説や、「小さい」や「噴出する」に由来するなど諸説ある。
カタールの国旗の歴史
1670年、オマーンのバニ・ハリード家の支配下に。国旗はこのような無地の赤1色の旗でした。赤は、イスラム教シーア派の一派であるハワーリジュ派のシンボル色でした。(社会主義・共産主義国家が使う赤旗と同じですが関係はありません)
1783年にバーレーンのハリーファ家の支配下になった後もこの国旗を継続して使用しましたが、1820年、イギリスと海事条約を結び国旗を変更。海賊船と区別するため、赤旗の左側に白を加えましたが、当時はギザギザではありませんでした。
1855年、国旗にギザギザが加わりました。しかしこの様式は長い間バーレーンの国旗🇧🇭と同じデザインでした。バーレーンはカタールのすぐ隣の国。変色をきっかけに色を変更したのも頷けます。
カタールの歴史
- 紀元前から居住の跡も見つかるが、詳しいことは不明。
- 3世紀にササン朝の支配に入ったとされ、その後7世紀にイスラム教の勢力が広がる。
- 18世紀中頃にアラビア半島北部やクウェートからアラブ系の諸部族が移住し、19世紀後半にはオスマン帝国の支配を受ける。
- 1916年からはイギリスの保護領となり、イギリスがペルシア湾岸から撤退すると、1971年に独立。
- 1940年代から石油の採掘が始まり、1971年の天然ガス田の発掘と合わせ、国家収入の大半を石油・天然ガスの輸出にたよっている。
- 1995年に無血クーデターで政権が交代すると、基本法の改正や三権分立をみとめる恒久憲法を採択するなど、自由化・民主化を進めている。
カタールの国データ
正式名称 | カタール国 |
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英語表記 | State of Qatar |
漢字表記 | 阿曼 |
首都 | ドーハ |
略号 | QAT |
面積 | 1万1427㎢(秋田県よりやや小さい) |
人口 | 271万人 |
通貨 | カタール・リアル |
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言語 | アラビア語 |
民族 | アラブ人 |
宗教 | イスラム教 |
独立年 | 1971年にイギリスから独立 |
国旗の比率 | 11:28 |
在留邦人数 | 956人 |