オマーン
国旗のデザインの意味と由来
赤は外部からの侵略者との戦いを、白は平和を、緑は豊かな農作物による繁栄をあらわしています。また赤は同時に、湾岸地域一の首長の伝統色を踏襲したものでもあります。
左上にある国章は、伝統的な武器である短剣カンジャル(ハンジャール)に2本の太刀を組み合わせたもので、首長の支配と威厳を象徴しています。このため、縦に掲揚するときには縦用の国章を用いることになっています。
オマーンはペルシャ湾の入り口にあり、中世にはインド洋貿易の拠点として栄えました。16世紀からヨーロッパの国々が進出し、19世紀後半にはイギリスの保護を受けましたが植民地にはならず、現在もスルタン(イスラム世界における君主号/国王)が治める独立国です。長い間鎖国状態にありましたが、1970年にスルタンの交代により近代化政策がとられ、国名をマスカット・オマーンからオマーン国にあらため、国旗もそれまでの赤一色から現在のようなデザインに変更しました。また1995年の独立25周年記念日にも、白・赤・緑の帯が同じ幅になるよう国旗の色の比率を変更しました。
オマーンの国名について
紀元前2世紀頃、アラビアハントプのオマーン渓谷からやってきた人々がこの地に移り住んだことから、渓谷名がそのまま国名になったといわれる。
オマーンの歴史
- 紀元前から海洋交易の中継地として都市があった。
- 7世紀頃からイスラム教が広まり、支配を確立する。
- 15世紀頃まではインド洋交易で発展するが、1509年にポルトガルが沿岸部を占領。17世紀半ばにポルトガル勢力を追い出し、アラブ系民族による一大海洋大国を形成する。
- 1741年にサイード家による政権が誕生し、現在まで続く。
- 19世紀後半のスエズ運河の完成以降は、交易のルートが紅海となったため衰え、1891年以降はイギリスの保護国となる。
- 1964年に油田が発見され、1967年から輸出を開始。(現在日本が最大の輸出相手国となっている)
- 1968年、イギリスがペルシャ湾からの撤退を発表し、1970年の革命を経てカーブースが王位につき、国名をマスカット・オマーン国からオマーン国にあらためる。
- 独立後の1971年には国際連合に加盟し、鎖国政策から近代化政策へと変更する。
- 1997年には女性参政権が認められた。
- 2020年1月、長年在位したカーブースが崩御、従兄弟にあたるハイサム・ビン・ターリク・アール・サイードが即位した。
オマーンの国データ
正式名称 | オマーン国 |
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英語表記 | Sultanate of Oman |
漢字表記 | 阿曼 |
首都 | マスカット |
略号 | OMN |
面積 | 30万9500㎢(日本の約85%) |
人口 | 467万人 |
通貨 | オマーン・リアル |
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言語 | アラビア語、英語 |
民族 | 半数以上がアラブ人 |
宗教 | イスラム教(イバード派など) |
独立年 | 1744年より現ブーサイード朝が支配 |
国旗の比率 | 1:2 |
在留邦人数 | 141人 |