マレーシア
国旗のデザインの由来と意味
「ジャミール・ゲミラン(栄光の縞模様、輝ける縞模様)」という正式名称がつけられている、マレーシアの国旗。この名称は、1997年の独立40周年記念日に、当時のマハティール首相によって名付けられました。
カントン部分に描かれた、三日月(新月)と星のシンボルは、イスラム教の象徴です。
星が放つ14本の光線、また赤・白の14本の横縞は、どちらもマレーシアを構成する14州をあらわします。
アメリカの星条旗からの影響を受けていそうなデザインですが、青・赤・白の配色は、かつての宗主国イギリスのユニオンフラッグを手本にしたものといわれています。
また、青は国民の統一と団結、黄色はスルタン(イスラム教国の君主)の権威をあらわし、赤・白はインドネシア🇮🇩やシンガポール🇸🇬などの国旗にも見られるように、古くからマレー系民族の伝統色として親しまれてきました。
マレーシアの国章
後ろ足で立ち上がる、2頭のトラに支えられた盾。盾の頂上には黄色い三日月と星。そして盾の下には国家の標語を書いたバナーが広がっています。
三日月と14本の光線を放つ星はフェデラル・スター(連邦の星)と呼ばれ、マレーシアの君主制を意味しています。同時に、三日月は国教であるイスラム教をあらわし、フェデラル・スターはマレーシア連邦を構成する13州と連邦直轄の首都クアラルンプールをあらわします。
下のリボンには、国の標語「Bersekutu Bertambah Mutu(統一は力)」が、ラテン文字とジャウィ文字によるマレー語で記されています。
ちなみにトラは、伝統的にマレーシアを象徴する動物で、力と勇気の象徴です。しかし今は絶滅の危機にあり、密猟や違法な土地開発の撲滅を目指した活動や、トラの保護活動が行われています。
(参考:トラ – Japan Tiger Elephant Organization - トラ・ゾウ保護基金)
マレーシアの国名について
1948年、イギリスの保護領だった頃の名称「マラヤ連邦」が由来。「マラヤ」はサンスクリット語で「山地」の意味。1957年に独立し、1963年に「マレーシア連邦」と国名を改めた。
マレーシアの国旗の歴史(略史)
マレーシアは、東西交易の中継点という地理的な特性を持っていることから、4つの国に450年以上も占領されていた激動の歴史を歩んできました。
しかしその結果、アジアだけではなく、キリスト教をはじめとするヨーロッパの文化までもが根付きました。マレーシアは国民の6割がムスリムというイスラム教国ですが、仏教、儒教、道教、ヒンドゥー教、キリスト教などの多宗教・多文化が共存する、他にはない魅力を持った国となっています。
マレーシアで最初の王国が築かれたのは14世紀末のこと。
インドネシア・スマトラ島の王子、パメスワラによりマラッカ王国が建設され、15世紀初頭には、明(中国)の永楽帝の命を受けた海軍大将、鄭和(ていわ)の率いる艦隊が来航。朝貢交易(貿易ではなく貢物を送り、その返礼を受け取るという形での交易のこと)が始まります。
その後マラッカ王国では、ペルシャやアラブからやってきたイスラム教徒の影響を受け、イスラム教を積極的に受け入れていきました。
マラッカ王国の国旗
パラメスワラ国王はイスラム教を国教とし、以降マラッカ王国は、極東アジア各地のスパイス・絹・麻・陶器などの交易を担う、海のシルクロード中継港として繁栄しました。
しかし、16世紀にはポルトガルに占領されてしまいました。これは、マラッカ港を訪れたポルトガルの商船隊がマラッカ港の魅力を自国に伝えたためといわれています。
また、ポルトガルはこの地をキリスト教の布教の拠点として重視しました。日本にキリスト教を広めたことで有名なフランシスコ・ザビエルも、1545年にマラッカで宣教活動を行い、多くの人々をキリスト教に導いたといわれています。
17世紀にはオランダがポルトガルを駆逐し、マラッカはオランダ領となります。
大航海時代が終わり、ポルトガルやオランダの力が衰退すると今度はイギリスが台頭し、18世紀末にはマラッカを占領。1826年にはシンガポール、ペナンとともに海峡植民地を形成しました。
イギリス領海峡植民地の域旗
この海峡植民地では、右に、3つの王冠と白い逆Y字を持った赤いひし形を置いた、「ブルー・エンサイン(イギリス青色船舶旗)」が域旗とされました。
その後1896年には、イギリスはマレー半島の小国をまとめてマレー連合州が成立。この時、インドや中国から労働者を大量に雇ったことが、今のマレーシアが多民族国家である理由のひとつになっています。
第二次世界大戦中は、日本軍がマレーシアを占領しますが、日本の敗戦後は再びイギリスの統治下に戻り、1948年にはマラヤ連邦となり1957年に独立。現在の国旗の基礎となる旗が制定されました。
マラヤ連邦の国旗
今の国旗とほぼ同じに見えますが、よく見ると、星が放つ光線の数、横縞の数が現在の14本とは異なっていて、それぞれ11本で構成されていました。
その後、1963年にはシンガポール、サラワクなどが加わり、現在の連邦国家マレーシアとなるのですが、1965年にはシンガポールが脱退し独立しました。
第二次世界大戦後、植民地時代の民族構成をまるごと受け入れる形でスタートしたマレーシアは、社会環境の複雑さから、周辺のアジア諸国と比べて経済発展が少し遅れました。しかし、1980年に首相に就任したマハティールの強力なリーダーシップをきっかけに、飛躍的な経済成長を続けました。
かつてオランダやイギリスの植民地だったマレーシアでは、マレー系国民を優先する政策を取り西欧の発展を見ならってきましたが、マハティール首相は、ルック・イースト政策(東方政策)を提唱し、1970年代からの日本や韓国の高度経済成長に見ならっていこうとしたのです。特に日本人の価値観、倫理、道徳などの精神面を学ぶことで自国の産業発展、人材育成に積極的に取り組んできたことで知られています。
マハティール首相は20年間首相を務め、さらに2018年には、マレーシア史上初の政権交代を実現して首相の座に返り咲きました。当時なんと92歳。2020年に辞任するまでマレーシアを率いました。
マレーシアの歴史(略史)
- 7世紀にシュリービジャヤ王国、13世紀末にマジャパヒト王国の支配を受ける。
- 14世紀末にマラッカ王国が成立し、交易の中心地としてさかえるが、1511年にポルトガル、1641年にオランダにより占領される。
- 18世紀末、イギリスがマラッカを占領し、1826年にシンガポール、ペナンとともに海峡植民地を形成。1896年にイギリスがマレーシアの小国をまとめ、マレー連合州が成立する。
- 第二次世界大戦中は日本に占領されるが、戦後はイギリスの支配下に戻り、1948年にマラヤ連邦となり、1957年に独立。
- 1963年にはシンガポールやサラワクなどが加わり、連邦国家マレーシアとして独立するが、1965年、シンガポールは脱退する。
マレーシアの国データ
正式名称 | マレーシア |
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英語表記 | Malaysia |
漢字表記 | 馬来西亜(略記:馬) |
首都 | クアラルンプール |
略号 | MYS |
面積 | 33万㎢(日本の約90%) |
人口 | 3200万人 |
通貨 | リンギット |
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言語 | マレー語、中国語(北京語、広東語、福建語)、タミル語、英語 |
民族 | マレー系、中国系、インド系 ※マレー系には中国およびインド系を除く多民族を含む |
宗教 | イスラム教、仏教、儒教、道教、ヒンドゥー教、キリスト教など |
独立年 | 1957年にイギリスから独立 |
国旗の比率 | 1:2 |
在留邦人数 | 2万4411人 |