クウェート
国旗のデザインの意味と由来
赤・黒・白・緑の4色は、アラブ・イスラム諸国の国旗に共通して使われている汎アラブ色という配色です。
各色はイスラム帝国歴代の王朝をあらわしているとも、イスラム教初期の4人の最高指導者たちの色だともいわれています。さらに、17世紀でバグダッドで活躍した詩人がそれぞれをたたえた詩にもとづくという説もあります。
クウェートの国旗では、緑は平和を、白は純粋さと高貴さを、赤は勇気と聖戦で流れた血を、黒は戦いの象徴であり戦場とクウェート騎士の上げる狼煙をあらわします。
汎アラブ色の国旗の中でも、ホイスト(旗竿側)に台形があるのがユニークです。これは、かつてイラクで王国時代に使われていた旗に影響を受けたデザインとされています。
ヨルダンの国旗🇯🇴と似ているのは、イラクとヨルダンの両王家とも、ヒジャーズのハシーム家出身という血縁によるもので、兄がヨルダン王、弟がイラク国王に即位しました。2つの7稜星は兄弟関係にあるイラクとヨルダンを象徴しています。
クウェートの国名について
クウェートはかつて「クライン」と呼ばれていた。ペルシア語から出たイラク南部の方言で、クラインは「小高い丘」、クウェートは「小さな城(砦)」という意味になる。
クウェートの歴史
クウェートは、ペルシャ湾の最奥部にある小さい国。北はイラクに、南はサウジアラビアに接しています。古くからペルシャ湾の交易の要所として栄えました。
1899年、イギリスの保護国となりましたが、1938年に大規模油田の発見で世界有数の産油地となり、経済的に飛躍し、1961年にはイギリスからの完全独立を果たしました。
1991年には石油の利権に絡む問題で、湾岸戦争に巻き込まれました。
- 古代から中心となる勢力がなく、18世紀になってアラビア半島中央部から遊牧民であるベドウィンが移住を開始。
- 1756年、オスマン帝国の支配のもとで統治がはじまる。
- 1899年、オスマン帝国の圧力に対抗して、イギリスの保護国となる。
- 1938年に油田が発見されると、1950年からの石油産業の発達もあり、1961年に独立を達成。
- 1990年、隣国のイラクがクウェートの領有権を主張して攻め入り、一時、全土を占領される。翌年、アメリカを中心とした多国籍軍による湾岸戦争がはじまり、イラク軍は撤退、クウェートは解放される。その後は西側諸国寄りの外交を行うが、2010年にイラクとの国交が正常化し、以降は国境を決めるなど関係改善が進んでいる。
- 2005年には女性参政権を認め、2009年に初の女性議員が誕生している。
クウェートの国データ
正式名称 | クウェート国 |
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英語表記 | State of Kuwait |
漢字表記 | 科威都 |
首都 | クウェート |
略号 | KWT |
面積 | 1万7818㎢(四国とほぼ同じ) |
人口 | 475万人 |
通貨 | クウェート・ディナール |
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言語 | アラビア語 |
民族 | アラブ人 |
宗教 | イスラム教 |
独立年 | 1961年にイギリスから独立 |
国旗の比率 | 1:2 |
在留邦人数 | 297人 |