日本
国旗のデザイン
白地に赤い丸でおなじみの日本の国旗。正式名称は日章旗といいますが日の丸と呼ばれ親しまれています。
太陽をかたどった旗で、赤は博愛と活力、白は神聖と純潔、純粋さや正直さ、清らかな心をあらわしています。
日の丸の歴史
日本人はもともと、稲の栽培によって生活する農耕民族でした。人がどんなに頑張っても、太陽が充分に照り雨が降らなければ、豊作にはなりません。ですから、太陽はありがたくも畏れ多い存在として、昔から神聖視されてきました。神道の神様、天照大神(あまてらすおおかみ)も太陽の女神です。このように、日本では昔から太陽をまつっていて、日本の天皇もこの天照大神の子孫とされています。
また、古くから日本では、大陸の東にある日本を「太陽がのぼる国」と捉えていました。飛鳥時代(607年)、聖徳太子が隋の皇帝に「日出ずる処の天子…」で始まる国書を送ったエピソードがよく知られています。
しかしこの日の丸の起源については色々な説があって、正確にははっきりしていません。
平安時代以降の日の丸の歴史
- 日の丸の原型を描いた軍扇や幟(金の地に赤い丸が多かった)が、平安時代(794 – 1185)後半から使われた。
- 戦国時代には武将たちが旗印として掲げた。
- 徳川の時代には、幕府のお米を運ぶ船の幟として使われた。(白地の幟に、ひとつから複数の赤い丸を縦に並べた旗「朱団子」)
- 1853年、ペリーが浦賀に来航。同年、ロシア使プチャーチンが長崎に艦隊。当時、諸外国との接触を通して、幕府は次第に国家としての意識に目覚めていった。
- 1854年、鎖国の終わりとともに、日の丸は日本の総船印となる。その際、徳川家の祖先とされる新田家の家紋を元にした「大黒中」という旗の案もあったが、薩摩の島津斉彬などが反対し、最終的に日の丸が採択された。
- 1859年には、幕府は諸外国の旗にならって、縦長の旗から横長の旗に変更。その際、日の丸を「御国総標(みくにそうじるし)」とするというお触れ書きを出す。このときから、横長の日の丸は事実上「国旗」として使われるようになった。
- 1870年には、縦横比率が7:10の商船旗と、2:3の軍艦用旗の2つの規格が出された。(以来、どちらを正式な国旗にするか議論されることになる)
- 1871年には、サンフランシスコを訪問した伊藤博文が「わが国の国旗」として日の丸を英語で紹介している。
1999年、2:3の日の丸が正式に日本の国旗になりました。国旗国家法で「旗の縦横比が2対3、赤丸は旗の中心とし、大きさは縦の長さの5分の3を直径にして描く」「色地は白で、日章は紅色」と規定されています。
日本の国名について
「日本」と「日本国」。どちらも国の正式名称として正解です。また読み方は「ニホン」でも「ニッポン」でもどちらでもいいとされていて、例えば切手やお札には「NIPPON」と書かれていますし、日本銀行は「にほんぎんこう」と読みます。他にも例えば、NHKでは「ニッポン」と表記していて、国会図書館の蔵書は「ニホン」で統一されているのだとか。また、英語表記の「Japan」はマルコ・ポーロが日本のことを「ジパング」と呼んだことによると言われています。
旭日旗について
旭日旗(きょくじつき)は、太陽と太陽光をあらわした旗です。武家の家紋で使われていたり、光線が四方八方に広がる様子(旭光)をハレの表現として、祝うべき行事の際、めでたさ・景気の良さを強調するために使われてきました。
また紅白も、昔から日本で縁起が良いとされてきた配色。その旭日と紅白を組み合わせたのがこの旭日旗です。
1870年に大日本帝国陸軍の軍旗として使われ始め、その後、海軍でも軍艦旗として採用されました。現在は、陸上自衛隊で自衛隊旗、海上自衛隊で自衛艦旗として使用されています。
過去の戦争の歴史から、必ずしもこの旭日旗について良いイメージを持つ人ばかりではないですが、このデザインがあらわす「ハレ・めでたさ・景気の良さ」にあやかり、お祭りやお祝いごと・大漁旗(たいりょうばた)などに、旭日のデザインが使われることがあります。
日本の国データ
正式名称 | 日本国、日本 |
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英語表記 | Japan |
漢字表記 | 日本(略記:日、和) |
首都 | 東京 |
略号 | JPN |
面積 | 37万8000㎢ |
人口 | 1億2600万人 |
通貨 | 円 |
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言語 | 日本語 |
民族 | 日本人 |
宗教 | 仏教、キリスト教、神道など |
独立年 | 1956年(独立回復) |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | - |