カンボジア
国旗のデザインの由来と意味
カンボジアのシンボル、アンコール・ワット寺院が描かれた旗。
青は王室を、赤は国家を、白は仏教をあらわしています。
アンコール・ワットは、世界遺産でもあり、世界3大仏教遺跡のひとつです。12世紀前半に、ヒンドゥー教の寺院として建設され、のちに上座部仏教の寺院となりました。建設には30年以上の歳月がかけられたといわれています。
カンボジアでは、1964年の東京オリンピックのときには現在と同じ国旗を使っていましたが、1970年のクーデター以来、王制の転覆、ポル・ポトによる支配や内戦が続いて国内は混乱。国旗は7回も変更になりました。しかしどの政治勢力も、なんらかの形でアンコール・ワットを描いた旗を採用していました。
例外は、1992年に和平のために国連によって設置された「最高国民評議会(SNC)」が臨時で採択した旗のみ。こちらは国連旗の青地に、カンボジアの地図を白く染め抜いた旗でした。翌年の1993年、現在の国旗が復活しました。
カンボジアの国章
カンボジアの王権を象徴した、カンボジア王室の紋章を使った国章。
盾の中にあるのは、重ねた金色の儀式用の椀(わん)。その上に国王の力をあらわす聖なる剣と、神聖なオーム(聖音)が描かれ、盾の上には陽の光を放つ王冠が置かれています。
左右で、王家のための五層の日傘を捧げ持っている動物は、向かって左がゾウの鼻を持つ獅子ガジャシンハ。右がシンハ(獅子)。
カンボジアの国名について
カンボジアでは自国のことを「カンプチャ」と呼ぶ。これは、建国の祖といわれるインドのバラモン僧カンプーの子孫であるということに由来する。
カンボジアの歴史(略史)
カンボジアは、インドシナ半島の南部、メコン川下流域の平野にひらけた国。北部にラオス、北西部にタイ、南東部をベトナムに接しています。
古くからインドと中国を結ぶ海上交通の中継地として栄え、インドの文化をもっとも早くから受容してきました。10〜15世紀には「東南アジアの文化センター」と呼ばれるほど隆盛を誇り、アンコール・ワットやアンコール・トムのような古代宗教都市も建設されました。
1953年、正式にフランスから独立してから、23年間にわたる激しい内戦が繰り返し起こりましたが、1993年にようやく王制国家として再スタートを切ることができました。しかし、いまだに膨大な数の地雷が埋められたままで、長きにわたる内戦の負の遺産が、経済発展の大きな足かせとなっています。
- 1世紀頃、扶南国(ふなんこく)が成立。
- 9世紀にアンコール朝がおこり、大帝国を建てる。
- 14世紀、アユタヤ朝の侵攻によって国内は混乱するが、1863年にフランスの保護国となるまで続く。
- 1887年にフランス領インドシナに編入されたあと、1945年の日本による支配とフランスの再支配を受ける。
- 1953年に完全独立を成し遂げ、シハヌーク国王による政権が成立。
- 1970年にはクーデターによって共和制へと移る。内戦ののち、1975年に民主カンプチア政府のポル・ポト派による支配が始まる。
- 1979年にはベトナム軍の介入でカンプチア人民共和国が成立し内戦が続くが、1991年にパリ和平協定が成立。
- 1993年に王制が復活。
- 2009年にはポル・ポト派による大量虐殺に対する特別法廷が開かれた。
カンボジアの国データ
正式名称 | カンボジア王国 |
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英語表記 | Kingdom of Cambodia |
漢字表記 | 柬埔寨(略記:柬) |
首都 | プノンペン |
略号 | KHM |
面積 | 18万1000㎢(日本の約半分) |
人口 | 1630万人 |
通貨 | リエル |
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言語 | カンボジア語 |
民族 | カンボジア人(クメール人) |
宗教 | 仏教、イスラム教 |
独立年 | 1953年にフランスから独立 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 3500人 |