ブルネイ
国旗のデザインの由来と意味
東南アジアでは、黄色は伝統的に王家を象徴する色です。
ブルネイの国旗でも、黄色はスルタン(イスラム教国の君主号のひとつで、ブルネイでは国王のこと)を象徴しています。また、斜めにかけられた帯の白は総理大臣を、黒はその他の大臣をあらわします。
中央の国章には、イスラム教を象徴する三日月が上向きに描かれています。三日月の中にはアラビア語で「الدائمونالمحسنونبالهدى(常に神の導きに従いなさい)」という国の標語が、三日月の下のリボンには「平和の国ブルネイ」をあらわす国名「برونيدارالسلام(ブルネイ・ダルサラーム)」が、それぞれアラビア文字で記されています。
20世紀初頭まで、ブルネイでは国旗に相当するような旗はなく、かわりにスルタンを象徴する黄色1色の旗が域旗として用いられてきました。
1906年、2人の大臣(ワジール)を象徴する白・黒の帯を加えます。
戦後の1959年には、ブルネイはイギリスの保護領から自治領となり、赤い国章を中央に置いた現在の国旗が、域旗として正式に採用されました。そして1984年に完全独立を果たすと、そのまま国旗となりました。
ブルネイの国章
特徴的な国章をもう少し詳しく見ていきましょう。
上から、国家をあらわす赤い燕尾旗、国王の日傘、正義・平穏・反映・平和をあらわす片翼4枚からなる翼、不動の政府をあらわす中央の柱、イスラム教をあらわす三日月。
両側の、上向きにかざされた手は、政府への忠誠心と国民の福祉、繁栄を実現する国の義務をあらわします。
ブルネイの国名について
国名のブルネイは、マレー語で「ココヤシの実(ココナッツ)」を意味する言葉に由来し、ダルサラームはアラビア語の「darus(土地)」と「salam(平和)」を合わせた言葉で「平和な土地」を意味する。※どちらも諸説あり。
ブルネイの歴史(略史)
ボルネオ島の北にあるブルネイは、三方をマレーシアに囲まれる小さな国です。厳格なイスラム教の国でもあり、国民の約80%が敬虔なイスラム教徒。東南アジアで唯一、スルタンとして国王が首相も兼ねる絶対君主制の国で、マレーシアとは全く違った文化を持っています。
第二次世界大戦後、マレーシア連邦が結成されるときには参加を求められましたが、豊富な石油と天然ガスの利益を守るため、独立の道を選びました。1984年にイギリスから独立して以来、国王による統治で安定した国づくりを維持しています。また実は、日本にとってもブルネイは重要なエネルギー供給国となっていて、日本とブルネイは、技術協力・教育・文化面でも活発な交流が行われています。
石油や天然ガスなど、豊かな天然資源によって潤うこの国は「世界一豊かな国」ともいわれ、なんと教育費も、医療費も、税金も、高速道路もすべて無料。
さらにブルネイのスルタン、ハサナル・ボルキアは、純資産2兆円以上という世界屈伸の資産家。50歳の誕生日にマイケル・ジャクソンを呼んで無料ライブを開催して世界中に報道されたり、自ら専用機を操縦して度々来日したりと、豪奢な生活振りでも知られています。
- 13世紀、ブルネイ王朝がボルネオ島と周辺の島を支配するが、14世紀にマジャパヒト王国の支配下に入る。
- 16世紀からイスラム教が広まり、東南アジアでの布教の拠点となる。
- 1888年、イギリスと保護協定を結び、1906年に保護領となる。
- 第二次世界大戦中は東南アジアの他の国々と同様、日本の占領下に入るが、戦後はふたたびイギリスの保護領となり、1959年に内政の自治を回復。
- 1962年に起きた反乱のときに非常事態宣言が発布され、現在まで続いている。
- 1967年に独立をめぐる交渉がイギリスとの間ではじまり、1971年に外交・軍事以外の独立を得て、1979年に友好条約を結び、1984年に完全独立を達成した。
ブルネイの国データ
正式名称 | ブルネイ・ダルサラーム国 |
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英語表記 | Brunei Darussalam |
漢字表記 | 文萊 |
首都 | バンダルスリブガワン |
略号 | BRN |
面積 | 5765万㎢(三重県とほぼ同じ) |
人口 | 42万1000人 |
通貨 | ブルネイ・ドル |
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言語 | マレー語、英語、中国語 |
民族 | マレー系、中華系、その他 |
宗教 | イスラム教、仏教、キリスト教など |
独立年 | 1984年にイギリスから独立 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 170人 |