アフガニスタン
国旗のデザインの意味と由来
アフガニスタンの国旗は、苦難の歴史の中、多くの変遷を遂げてきました。
この国旗は、アメリカによるアフガン空爆後の2004年、新憲法と同時に制定した国旗です。1974年まで使われた王制時代の旗を一部修正したデザインで、黒は外敵による侵略・抑圧の暗黒時代を、赤は独立戦争で流された血を、緑は平和と自由を意味し、イスラムの理念をあらわしています。
中央の国章は、麦の穂に囲まれたモスク(イスラム教の礼拝堂)とミフラーブ(聖地メッカの方向を示す装飾的な壁のくぼみ)が描かれ、その上に「アッラーの他に神はなし、ムハンマドはアッラーの使徒なり」という、イスラムの経典クルアーン(コーラン)の聖句がアラビア語で書かれています。この聖句はシャハーダといって、イスラム教徒になるときには、これを真摯に唱えます。
モスクを囲む麦の穂は王冠をあらわし、アフガニスタン王国の始祖とされるアフマド・シャー・ドゥッラーニ王が麦の穂で王冠を作ったという言い伝えに由来します。下には、独立した西暦1919年にあたるアフガニスタン歴の「1298年」と記されています。
2021年、アフガニスタンで治安を担ってきたアメリカ軍が撤退を進める中、反政府武装勢力のタリバンが攻勢を強め、8月15日、首都カブールを陥落し大統領府を掌握。ガニ大統領はタジキスタンに出国し、政権が崩壊。2021年8月16日、タリバーンは政権を奪取しました。国名や国旗、国章についての正式な発表はまだありません。
アフガニスタンの歴史(略史)
- 2世紀頃、カニシカ王によりクシャーナ朝の一部となる。
- 8世紀からはイスラムの王朝による支配が続き、その後もモンゴル、テュルク系などの民族による支配を受ける。
- 1747年、ドゥラーニー朝として独立。3度のアフガン戦争中に、イギリスの保護領となるが、1919年に独立を達成。
- 1973年の共和制への移行、1978年の軍部クーデータによる人民民主党政権の成立、1979年のソ連の軍事勧誘によるカルマル政権の成立(1989年にソ連軍は撤退完了)を経て、1994年からタリバンが勢力を伸ばす。
- タリバンは国土の9割を支配するが、2001年のアメリカ同時多発テロをきっかけにアメリカ軍の空爆が行われ、タリバン政権は消滅。カルザイ暫定政権のもと、2004年に新憲法が成立し、2014年に初の民主的な政権交代が実現した。
- 2020年2月、数ヵ月におよぶ交渉の末、アメリカとタリバンがドーハで「和平合意」成立。アメリカは残留軍撤退を約束。同年9月、アフガニスタン政府とタリバンの間で初の本格的な和平交渉が開始。
- 2021年4月、ジョー・バイデン大統領が9月11日までに残駐米軍を完全撤退させると表明。5月、米軍とNATO軍の撤退開始。7月、カブール北郊にあるバグラム空軍基地から、米軍やNATO加盟国の残留部隊の撤収完了。
- 2021年7月2日、タリバンが半数の州を制圧、8月13日から3日間で、アフガニスタンの要衝を次々と制圧し、15日には東部の要衝ジャララバードを無抵抗で制圧。首都カブールを陥落し勝利宣言を行う。ガニ大統領はタジキスタンに出国。政権が崩壊した。
アフガニスタンの国名について
「Afgan(アフガン族)」と、ギリシア語の「stan(国)」から、「アフガン族の国」の意味。また、アフガンはパシュトゥーン人の別称で「山の民」を意味し、「国」を意味する「stan」を合わせ、「山の民の国」となったという説もある。
アフガニスタンの場所と国データ
正式名称 | アフガニスタン・イスラム共和国 |
---|---|
英語表記 | Islamic Republic of Afghanistan |
漢字表記 | 亜富汗斯坦 |
首都 | カブール |
略号 | AFG |
面積 | 65万2225㎢(日本の約1.7倍) |
人口 | 2916万人 |
通貨 | アフガニー |
---|---|
言語 | ダリー語、パシュトゥー語、ハザラ語、タジク語など |
民族 | パシュトゥーン人、タジク人、ハザラ人、ウズベク人など |
宗教 | イスラム教(スンニ派、シーア派) |
独立年 | 1919年にイギリスから独立 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | ー |