タンザニア
国旗のデザインの由来と意味
2本の黄色い輪郭線を持つ、緑・黒・青の斜めの三分割旗。
緑は国土と農業を、黒はタンザニアの国民を、青はインド洋の海の色をあらわし、黄色の帯は豊かな鉱物資源をあらわしています。
タンザニアは、1964年に、旧イギリス領のタンガニーカとザンジバルが合併してできた国です。この旗は、両国の国旗の配色を組み合わせて作られました。
旧タンガニーカ旗は、独立解放を闘った「タンガニーカ・アフリカ人民族同盟(TANU)」の党旗をもとに作られたデザイン。また、左に白い縦縞を置いた旧ザンジバル旗は、ザンジバルのスルタン制を廃止し、共和制を樹立した「アフロ・シラジ党」の党旗をもとに作られたデザインです。
タンザニアの国名について
「タンガニーカ」は「水の集まる場所」。「ザンジバル」は、「黒い海岸」の意味を持つインド洋の島。このふたつと、「別天地」の意味を持つ「アザニア」を合成してできた名前。
タンザニアの歴史
タンザニアは、大陸部のタンガニーカとインド洋に浮かぶザンジバル島、ペンバ島からなる国。内陸部は標高1000m以上の高原で、標高5895mのキリマンジャロ山があります。
ザンジバルはインド洋貿易で栄え、アフリカ人、アラブ人、インド人などと、それらの混血の人々が住み、それぞれの文化が混ざり合って独特のスワヒリ文化が作られました。15世紀には中国の明の鄭和(ていわ)が大艦隊を率いて、東海岸の都市マリンディ(現在はケニアに属する)まで来航しています。
またタンザニアは、アフリカの国々に付きまとう民族紛争や軍事クーデターが起こっていないという稀な国です。その理由は、地域格差を認めて、それぞれに大幅な自治権を与える政策が功を奏したことや、多数派の支配部族がいないことなどがあげられます。また、タンザニアでは紛争などから逃れてきた周辺諸国の難民の積極的な受け入れも行なっています。
- 北部のオルドバイ渓谷では、175万年前の原人の骨が発見された。
- 8世紀頃にアラブ人が来航して交易拠点を築いた。
- 19世紀になるとオマーンのスルタンが王国を建設し、象牙や奴隷の貿易を行った。
- やがてドイツやイギリスが進出。タンガニーカは1885年にドイツの保護領に、第一次世界大戦後はイギリスの委任統治領となった。またザンジバルは1890年にイギリスの保護領になった。
- 第二次世界大戦後の1961年、タンガニーカが独立。1963年にザンジバルが独立し、翌年、両国が統合されてタンザニア連合共和国が誕生した。
- 1977年から社会主義路線を進めたが、1986年、市場経済に移行。1992年に複数政党制を盛り込んだ憲法を制定した。
タンザニアの国データ
正式名称 | タンザニア連合共和国 |
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英語表記 | United Republic of Tanzania |
漢字表記 | 坦桑尼亜 |
首都 | ダルエスサラーム(法律上の首都はドドマ) |
略号 | TZA |
面積 | 94万5000㎢(日本の約2.5倍) |
人口 | 5632万人 |
通貨 | タンザニア・シリング |
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言語 | スワヒリ語、英語 |
民族 | スクマ族、マコンデ族、チャガ族、ハヤ族 |
宗教 | イスラム教、キリスト教、伝統宗教 |
独立年 | 1961年にイギリスから独立 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 295人 |