ソマリア
国旗のデザインの由来と意味
青(ライトブルー)の地色の中央に、ソマリアの5つの地方とその団結をあらわす白い五角星を置いたソマリアの国旗。この青は、国連旗の青(ライトブルー)を踏襲しています。
19世紀後半のアフリカ分割(ヨーロッパの帝国主義列強によって激しく争われた、アフリカ諸地域の支配権争奪と植民地化のこと)で、ソマリア人の暮らすエリアは、イタリア領ソマリランド、イギリス領ソマリランド、フランス領アファル・イッサ、エチオピア領オガデン、イギリス領ケニア植民地の5地域に分割されてしまいました。
第二次世界大戦でイタリアが敗戦国となると、1950年、国際連合は旧イタリア領に対して、10年後の独立を確約します。そんな中、イギリス領ソマリランドでも独立運動が起きたため、1960年、国際連合はこの南北地域を統合し「ソマリア共和国」として独立させました。
こうした国連による粘り強い支援があって独立したことから、感謝の意味を込め、ソマリアの国旗には国連旗の青(ライトブルー)が取り入れられています。
ソマリランド共和国の旗
ソマリランド共和国は、旧イギリス領ソマリランドの分離独立を目指す反政府組織「ソマリ国民運動(SNM)」が、1991年に一方的に独立を宣言した国です。これによりソマリアは南北に分断されてしまいました。
※実質的に独立国家として機能していますが、国際的に国家の承認はされていません。
緑と白はイスラムの象徴で、赤は解放闘争で流された血を、中央の黒い星はソマリランドの5つの地域をあらわします。
緑の帯に描かれている文字は、サウジアラビアの国旗🇸🇦と同様のシャハーダ(信仰告白)。イスラムの聖典『クルアーン(コーラン)』の聖句であり、「アッラーの他に神はなし、ムハンマドはアッラーの使徒である」と書かれています。国旗の掲揚規定もサウジアラビアと同様、いつでも旗竿側が右になるよう掲揚することとされ、弔意をあらわす半旗掲揚にしないこととされています。
ソマリアの国名について
ヌビア語で「somali(黒い)」から、この地に住んでいた住民を「ソマリ族」と呼んでいたことに由来する。ヨーロッパ人が、「ソマリア人の国」という意味で「ソマリア」と呼ぶようになった。
ソマリアの歴史
ソマリアは、アフリカの東端、いわゆる「アフリカの角」と呼ばれる地に位置する国です。
1960年に、旧イギリス領ソマリランドと、国連信託統治理事会によるイタリア信託統治領ソマリアが合体してできました。
しかし、1980年代末から氏族間による権力闘争の内戦が激化し、国内は複雑な抗争下にあります。国連の介入も失敗に終わり、現在のところ統一政府は不在となっています。
- 10世紀頃にアラビア半島からソマリア人が移住し、イスラム王国が成立。沿岸部ではアラブ人が交易の基地を築いた。
- 19世紀後半、イギリス、イタリア、フランスなどが進出し、北部はイギリスの保護領になり、南部はイタリアの支配下におかれた。
- 第二次世界大戦後の1960年、北部はソマリランドとして独立、南部も独立し、合体して国名をソマリア共和国とした。
- 1969年にバーレ将軍がクーデターを起こして、社会主義路線を歩み始める。
- 1988年に内戦が始まり、1991年、ゲリラ組織の統一ソマリア会議が政府を倒したが、内部の対立で無政府状態になる。
- 1992年に国連が国連平和維持軍(PKO)を派遣するが、1995年に撤退。2000年に和平案が成立し、暫定政権が発足。
- 2012年、複数政党制を盛り込んだ憲法を制定して、国名をソマリア連邦共和国に改めた。
ソマリアの国データ
正式名称 | ソマリア連邦共和国 |
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英語表記 | Federal Republic of Somalia |
漢字表記 | 蘇摩利亜 |
首都 | モガディシュ |
略号 | SOM |
面積 | 63万8000㎢(日本の約1.8倍) |
人口 | 1400万人 |
通貨 | ソマリア・シリング |
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言語 | ソマリ語、アラビア語 |
民族 | ソマリ族 |
宗教 | イスラム教 |
独立年 | 1960年に北部はイギリスから独立、南部はイタリアから独立 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 5人 |