マラウイ
国旗のデザインの由来と意味
黒はアフリカ大陸の黒人を、赤はアフリカの人々が自由を得るために流した血を、緑はマラウイの常緑の緑をあらわします。
31の光芒を持つ、日の出(太陽)のシンボルは、全アフリカ大陸の希望を象徴する「自由のあけぼの」。
黒・赤・緑の横三色旗は、独立闘争を推し進めた「マラウイ会議党(MCP)」の党旗で、原型は「ブラックパワーの父」と称えられた黒人民族主義の指導者マーカス・ガーベイが考案した黒人解放旗に由来します。
2010年から2012年の6月までは上の2色が入れ替わり、白い光芒のある太陽が描かれていましたが、政治の動きの中、わずか2年で元に戻りました。
半円だったシンボルを丸ごとの太陽にしたのは、独立以来の経済発展をあらわすためでした。
マラウイの国名について
国名は、14〜18世紀に栄えたマラビ王国の名を復活させたもので、「ゆらめく炎」という意味。
マラウイの歴史
マラウイの地域は、1891年にイギリスの保護領となり、それから久しく「ニアサランド」と呼ばれていました。
1953年には、南ローデシア(現ジンバブエ)と北ローデシア(現ザンビア)とともに、ローデシア・ニアサランド連邦を結成し、独立に向けて第一歩を踏み出しましたが、社会構造に違いがあったため、1963年に連邦を解消します。ニアサランドは独自の道を進むことになり、1964年に独立しました。
- 16世紀頃からマラビ王国が栄え、その後、ポルトガル人やアラブ人が進出して奴隷貿易を行う。
- 1859年、イギリスの宣教師で探検家のリビングストンがマラウイ湖を探検。以後、イギリスが進出し、1891年にイギリスの保護領となった。
- 第二次世界大戦後の1953年、南ローデシア(現在のジンバブエ)、北ローデシア(現在のザンビア)とともに、ローデシア・ニヤサランド連邦を形成するが1963年に脱退、翌年にイギリス連邦内の自治国マラウイとして独立。
- 1966年、共和国となり、バンダが政権を握りマラウイ会議党による独裁が続く。
- 1993年、国民投票により複数政党制を取り入れる。翌年、大統領選挙と総選挙が行われた。
マラウイの国データ
正式名称 | マラウイ共和国 |
---|---|
英語表記 | Republic of Malawi |
漢字表記 | 馬拉維 |
首都 | リロングウェ |
略号 | NWI |
面積 | 11万8000㎢(日本の約3分の1) |
人口 | 1814万人 |
通貨 | マラウィ・クワチャ |
---|---|
言語 | チェワ語、英語、各民族語 |
民族 | バントゥー系(チュワ族、トゥンブーカ族、ンゴニ族、ヤオ族) |
宗教 | キリスト教、イスラム教、伝統宗教 |
独立年 | 1964年にイギリスから独立 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 164人 |