リビア
国旗のデザインの由来と意味
赤・黒・緑の横三色旗の中央に、白い新月と星という、汎アラブ色にイスラム教の象徴を配置した、イスラム教の国らしいデザインの国旗。
このデザインはもともと、1951年から1969年までの王政期時代に国旗として使っていたもの。赤・黒・緑の三色はリビアの3地方(赤=フェザーン地方、黒=キレナイカ地方、緑=トリポリタニア地方)をあらわします。また、赤は剣や力、黒は闘争、緑は草原・緑地への憧れ、白は国民の行為をあらわす、とも言われています。
リビアの国名について
「リビア」は、ギリシャ神話の女神「リュビア」(ポセイドンの妻)に由来していて、ギリシアから見て「地中海の向こう」を意味します。
リビアの国旗の歴史
リビアは1951年にイタリアから王国として独立しました。
1969年、アラブ民族主義と厳格なイスラムの戒律を掲げる、カダフィ(ムアンマル・アル=カダフィ)率いる青年将校団が無血クーデターで権力を奪い、リビアは王制から共和制に移行しました。
しかし2011年、カダフィ打倒を目指した反体制派(のちのリビア国民評議会)と政権側との間で内戦状態になり、政権は崩壊。カダフィ政権では緑一色の国旗を使っていましたが、即日、王政時代の国旗(現在の国旗)に戻されました。
一夜にして変えられた緑一色旗
クーデターで王制を廃止したカダフィ大佐。彼が作ったかつての国旗は、なんと一晩で作られたもの。
カダフィ大佐は、ひとことで言えば「リビアの暴れん坊」といった人物で、独裁者でした。
2011年に死亡するまで、42年という長い間リビアを統治していましたが、国際的には、テロ事件の黒幕として多額の賠償金を支払い、たびたび経済制裁を受けたり、エキセントリックな振る舞いから「中東の狂犬」と呼ばれていました。
(カダフィ大佐の「大佐」というのは役職ではなく、自らが決めたあだ名のようなもの。かつて、エジプトで軍事クーデターを行って指導者となったナセルを尊敬していて当時の彼の地位が「大佐」だったため、自らも「大佐」を使っていたのが定着したという説があります)
1955年、アフリカでも貧しい国だったリビアで石油が発見されました。リビアに富が流れ込みますが、カダフィ大佐は石油の恩恵を国民にも分配したため、リビアは税金もなく、学校や医療、電気も無料で提供される国になりました。ですからカダフィ大佐は国民に人気があり、リビア全体からの反応はそう悪くなかったそうです。しかし、旧リビア王国派の勢力などからはやはり反感を抱かれていました。
そんなカダフィ大佐が作ったのが、この緑一色の国旗です。一色でできた国旗は珍しいですが、どういう流れでこの国旗ができたのでしょう。
1972年、カダフィ大佐は、エジプト・シリアと共に「アラブ共和国連邦」を結成しました。そして3国は、同じデザインの国旗を採用します。汎アラブ色の中に、金色の鷲(クライシュ族の鷲)をあしらった旗です。鷲が持っている巻物には、アラビア語で連邦名が書かれています。
しかし、結局この「アラブ共和国連邦」はうまくいかず、本格的な統合はされませんでした。
1977年11月、エジプトのサダト大統領は、アラブの宿敵イスラエルと単独で和平協定を結び、アメリカ寄りの外交政策を発表しました。
この事態に大激怒したカダフィ大佐は、即刻エジプトとの合邦関係を解消。
「明日までに新国旗に変更せよ!」と側近に命令します。しかも時間は深夜でした。戸惑った側近たちは、苦肉の策で、緑一色の国旗を提案します。緑はイスラム教の預言者ムハンマドのターバンの色ともコートの色とも言われていて、イスラム教の国では高潔な色とされています。
また同時に、リビアの国家イデオロギーだった「ジャマーヒリーヤ」(人民共同体)の根幹になっていた考え方、農地再生を目指す「緑の革命」も表現されていました。(さらに、かつてリビアの地を治めていたファーティマ朝の国旗も緑一色でした)
側近たちが苦し紛れに提案した、世界一簡単なデザイン。カダフィ大佐はとても気にいったそうです。しかし2011年、このユニークな国旗はカダフィ大佐とともに消え去りました。
2011年2月、隣の国チュニジアの「ジャスミン革命」の影響から、リビアでカダフィの退陣を求めるデモが発生。このデモが、NATO軍による空爆やアラブ諸国からの軍事介入を招き、同年10月20日、反政府勢力によってカダフィ大佐は射殺されました。カダフィ大佐の長期に渡った独裁政権は崩壊し、王制時代の国旗が復活。現国名となりました。しかし、部族間の争いやイスラム主義勢力の台頭などにより、国内は混乱に陥り内戦が続いています。
リビアの国データ
正式名称 | リビア |
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英語表記 | Libya |
漢字表記 | 利比亜 |
首都 | トリポリ |
略号 | LBY |
面積 | 176万㎢(日本の約4.6倍) |
人口 | 668万人 |
通貨 | リビア・ディナール |
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言語 | アラビア語 |
民族 | アラブ人 |
宗教 | イスラム教(スンニ派) |
独立年 | 1951年 |
国旗の比率 | 1:2 |
在留邦人数 | 9人 |