リベリア
国旗のデザインの由来と意味
リベリアの国旗は、アメリカの国旗ととてもよく似ています。なぜかというと、リベリアは1822年、アメリカで自由の身になった黒人解放奴隷たちに、新天地を提供する目的で作られた地だからです。1847年にはブラックアフリカ最古の黒人国家として建国独立しました。このような経緯を背景に、国旗のデザインはアメリカの国旗の影響を色濃く反映したものになりました。
赤は勇気と忍耐、白は純粋さ、星は当時のアフリカでただひとつの黒人国家だったことをあらわし、赤と白の11本の縞は、リベリア独立宣言の11名の署名者を示します。カントン部分の青い四角は、当時の「暗黒大陸アフリカ」をあらわすとされていましたが、1961年の国旗法によると、青は自由・正義・友愛をあらわすとなっています。
リベリアの国章には、解放された奴隷をアメリカから乗せてきた白い帆船、アメリカ植民協会からの放棄宣言書をくわえた平和の白いハト、国家の誕生をあらわす日の出、繁栄をあらわすヤシの木、鋤(すき)とシャベルが描かれています。上部のリボンには「自由への熱愛が我らをここに導いた」と記されています。
リベリアの国名について
英語の「Liberty(自由)」に由来し、「自由の国」という意味。
リベリアの歴史
15世紀頃、故障に似た種子を手に入れたポルトガルの航海者は、この地を「胡椒海岸」と名付けました。
19世紀初頭、アメリカで設立されたアメリカ植民協会が黒人奴隷のアフリカへの帰還を計画し、その再入植地としてこの地を購入し、入植地は次第に拡大していきました。そして1847年、リベリア共和国として独立しました。他国による植民地統治という前歴を持たない点で、アフリカでは異例の国とも言えます。
- 15世紀頃、ポルトガル人が来航しコショウの貿易が行われた
- 1822年、アメリカから解放された奴隷が送られてきて、植民を開始
- 1847年、解放奴隷の子孫たち(アメリコ・ライベリアン)がおさめるリベリア共和国として独立
- 1980年、先住民のドゥ曹長らによるクーデターが起こり、アメリコ・ライベリアンによる長期支配が終わる
- 1989年、アフリカ人同士の対立から内戦になり、2003年に和平が成立。この内戦で約27万人が死亡した
リベリアの国データ
正式名称 | リベリア共和国 |
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英語表記 | Republic of Liberia |
漢字表記 | 利比利亜 |
首都 | モンロビア |
略号 | LBR |
面積 | 11万1370㎢(日本の約3分の1) |
人口 | 482万人 |
通貨 | リベリア・ドル |
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言語 | 英語、各部族語 |
民族 | ゴラ族、クベレ族、クル族、バサ族、など16部族 |
宗教 | キリスト教、イスラム教など |
独立年 | 1847年にアメリカから独立 |
国旗の比率 | 10:19 |
在留邦人数 | 11人 |