ギニア
国旗のデザインの由来と意味
1958年の独立にともなって制定された国旗。旧宗主国のフランスとの結びつきを強調する意味で、フランスのトリコロール(三色旗)🇫🇷のデザインを色濃く受け継いでいます。
赤・黄・緑の配色は、エチオピアの国旗🇪🇹に由来する汎アフリカ色ですが、当時の大統領がガーナとの統合を視野に入れていたことから、先に独立していたガーナの三色旗に歩調を合わせたともいわれています。3色で国家のモットー「労働・正義・連帯」をあらわすとされ、同時に、赤は反植民地運動で流された血を、黄色は太陽と鉱物資源を、緑は農業と繁栄をあらわしています。
赤と緑の配色を逆にすると、マリの国旗🇲🇱となるので注意が必要です。
ギニアは、フランスから独立した当初から社会主義政策を強く打ち出し、1978年には国名も「ギニア革命人民共和国」へと変更しましたが、1984年の無血クーデターによって旧国名(現在の国名)に戻しました。また、この国はイスラム文化を背景とした独特のアフロ文化が生まれた地で、タムタム(太鼓)やバラフォン(木琴の一種)と呼ばれる伝統楽器を使った民族音楽も盛んです。
国章は、カラハリ砂漠の砂をあらわす白い盾型紋章。工業をあらわす3つの歯車、川をあらわす3本の青い波線、牧畜をあらわす牛の頭、盾の左右には象牙とモロコシを掲げた2頭のシマウマで構成されています。下のリボンに記されているのが、「PULA(雨、雨よ降れ)」。
また、ボツワナ国旗の白と黒の線には、国章に描かれているシマウマの模様もあらわされているともいわれています。
ギニアの国名について
国名は、古くから北アフリカの広い地域で暮らしているベルベル人の言葉ベルベル語で「皮膚の黒い人」を意味し、西アフリカ沿岸部の総称でもある。
ギニアの歴史(略史)
- 狩猟採集のサン人(ブッシュマン)が住んでいたこの地に、17世紀頃、ツワナ人が住み着き、18世紀にツワナ首長国を建てた。
- 1835年、南からオランダ系移民のブール人が侵入してくると、ツワナ王のカーマ3世はイギリスに保護を求め、1885年にイギリスの保護領ベチュアナランドとなる。
- 1910年には南アフリカ駐在のイギリス高等弁務官(特命全権大使)の管轄のもとに入る。
- 第二次世界大戦後の1962年、カーマ3世の孫のセレツォ・カーマがベチュアナランド民主党(のちのボツワナ民主党)を結成して独立運動を進め、1966年にイギリス連邦内のボツワナ共和国として独立。カーマが初代大統領に就き、複数政党制のもとで政権を握る。
- 多数派の黒人と少数派の白人との融和を進め、政情は安定している。
ギニアの国データ
| 正式名称 | ギニア共和国 |
|---|---|
| 英語表記 | Republic of Guinea |
| 漢字表記 | 幾内亜 |
| 首都 | コナクリ |
| 略号 | GUI |
| 面積 | 24万5857㎢(本州とほぼ同じ) |
| 人口 | 1241万人 |
| 通貨 | ギニア・フラン |
|---|---|
| 言語 | フランス語、各民族語 |
| 民族 | マリンケ族、プル族、スースー族など |
| 宗教 | イスラム教、キリスト教、伝統宗教 |
| 独立年 | 1958年にフランスから独立 |
| 国旗の比率 | 2:3 |
| 在留邦人数 | 46人 |