ガーナ
国旗のデザインの由来
赤は独立闘争で流された血を、黄色は国の鉱物資源を、緑は森林の農地を、中央の黒い星はアフリカの自由と統一をあらわします。
この赤・黄・緑の3色は、エチオピア国旗の配色にならったもので、汎アフリカ色と呼ばれています。ガーナはそれを最初に採用した国で、その後に独立するアフリカ諸国にも大きな影響を与えました。
ガーナは19世紀以来、ゴールドコースト(黄金海岸)と呼ばれたイギリスの旧植民地でした。1957年「アフリカ独立の父」ともいわれるエンクルマ初代大統領らにより独立し、国旗が制定されました。1964年になると、エンクルマは終身大統領になります。そして自党以外の政党を禁止し、国旗の黄色の部分を白に変更しました。
赤・白・緑の配色は、会議人民党(エンクルマら青年組織委員会が統一ゴールドコースト会議から分離し創設した党)の党旗の色でした。
しかし1966年にクーデターが起こりエンクルマが失脚すると、1969年、独立当初の国旗(現国旗)が復活しました。
ガーナの国名について
かつて西アフリカで栄えていた古代ガーナ帝国から国名を採用したことが由来。「ガーナ」は元は王の称号で「最高の支配者」の意味。
ガーナの歴史
ガーナはアフリカ西部のギニア湾に臨む国。イギリス領時代は黄金海岸とよばれ、細菌学者の野口英世が黄熱病の研究中に亡くなった地としても知られています。
1950年代には、アフリカ各地で独立の動きが急速に盛り上がりを見せました。ガーナは脱植民地時代のサハラ砂漠以南のアフリカで、初めて現地人が中心となってヨーロッパ宗主国から独立したのです。そしてエンクルマ大統領はアフリカの他の地域指導者にも全アフリカの統一を働きかけ、汎アフリカ主義の発展に指導的役割を果たしました。
- 13世紀以降、サハラ砂漠のキャラバン(隊商)の交易地として栄える
- 1481年、ポルトガル人が来航、金がとれたことから「ゴールドコースト(黄金海岸)」と名付けた
- ポルトガルは沿岸に城砦を築き、金や奴隷の貿易の拠点とした
- 17世紀、アシャンティ王国が成立、オランダやイギリスと交易をして栄えた
- 19世紀になると、イギリスはアシャンティ王国を攻撃、1902年に全域を植民地にした
- 1957年、イギリス連邦内の自治領として最初に独立する
- 1960年、共和国になるが、1966年以降何度もクーデターが起こり、軍政による政治が続いた
- 1992年、複数政党制などを定めた憲法を制定し、民政に移行した
ガーナの国データ
正式名称 | ガーナ共和国 |
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英語表記 | Republic of Ghana |
漢字表記 | 加納 |
首都 | アクラ |
略号 | GHA |
面積 | 23万8537㎢(日本の約3分の2) |
人口 | 2976万人 |
通貨 | ガーナ・セディ |
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言語 | 英語、各民族語 |
民族 | アカン族、ガ族、エベ族、ダゴンバ族、マンプルシ族など |
宗教 | キリスト教、イスラム教、伝統宗教など |
独立年 | 1957年頃にイギリスから独立 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 351人 |