エリトリア
国旗のデザインの意味と由来
1993年にエチオピアから独立するときに制定された国旗。緑は砂漠の緑化と農業を、青は紅海に臨む国を、黄色は鉱物資源を、赤は独立闘争で流された血をあらわします。赤い部分を次第に細くしているのは、これ以上血が流されることのない平和な未来への願いを託したものです。旗竿側中央にある紋章は、平和の象徴であるオリーブの枝と苗木。独立戦争の勝利と明るい未来の希望を示しています。外側の枝についている左右15枚ずつの葉は、解放のために費やされた独立戦争の30年をあらわします。1995年末に、オリーブの苗木のデザインを若干修正しました。
独立戦争の長い期間を戦い抜いた、エリトリア人民解放戦線(EPLF)の党旗がモデルになっています。
現在のオリーブのリースの代わりに黄色い星が置かれています。この星は国家統一の象徴で、独立解放に向けての意志をあらわしていたと言われています。
エリトリアの国名について
ギリシャ語の「エリスラエウム(赤い)」に地名接尾語の「-ia」が付いたものが由来。紅海沿岸に面した場所に位置するため、紅海にちなんで付けられた。
エリトリアの歴史
エリトリアは、元々はエチオピア帝国の領土だった海岸部で、イタリアが植民地政策によって分離させた地域です。第二次世界大戦中にはイギリスの保護領となり、大戦後はエチオピア帝国と連邦を結成しました。ところが10年後、エチオピアに強引に併合されてしまいました。このため、イスラム教徒のエリトリア住民によって30年余りにわたる激しい独立闘争が繰り広げられ、1993年、ようやく独立を果たしました。この独立戦争で約20万人が亡くなり、難民は75万人にものぼりました。
- 1世紀頃、エチオピアを拠点とするアクスム王国の紅海での交易地として栄えた
- 4世紀頃、キリスト教が広まる
- 7世紀以降、イスラム教徒が貿易を支配するようになると衰え、16世紀オスマン帝国に支配された
- 1846年、エジプトの一部になる
- 1890年、イタリアの植民地となってエリトリアと呼ばれ、イタリアのアフリカ進出の拠点となる
- 第二次世界大戦中の1941年、イギリスの保護領となる
- 1952年、エチオピアと連邦を結成するが、1962年にエリトリアが連邦離脱を決議すると、エチオピアが強引に併合する
- エチオピアの強引な併合に対して、エリトリア解放戦線は独立闘争を起こし、そこから分離したエリトリア人民解放戦線が1993年に独立を達成
- 1998年から2000年まで、エチオピア・エリトリア国境紛争が起こった
エリトリアの国データ
正式名称 | エリトリア国 |
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英語表記 | State of Eritrea |
漢字表記 | 厄立特利亜 |
首都 | アスマラ |
略号 | ERI |
面積 | 11万7600㎢(日本の約3分の1) |
人口 | 550万人 |
通貨 | ナクファ |
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言語 | ティグリニャ語、アラビア語など |
民族 | ティグライ族、アファール族など9民族 |
宗教 | キリスト教、イスラム教など |
独立年 | 1993年頃にエチオピアから独立 |
国旗の比率 | 1:2 |
在留邦人数 | 2人 |