中央アフリカ
国旗のデザインの由来と意味
中央アフリカ共和国の国旗のベースとなったのは、フランスの国旗の赤・白・青と、アフリカ諸国の国旗に共通した赤・黄・緑の汎アフリカ色。
多くのアフリカ諸国が独立を果たし「アフリカの年」と呼ばれる1960年、フランス領赤道アフリカの4植民地は、それぞれチャド、コンゴ、ガボン、中央アフリカの4つの共和国として独立しました。
しかし、中央アフリカ共和国の初代首相、バルテレミー・ボガンダは、この4ヵ国をひとつの国家としてまとめたいという理想を持っていました。彼のデザインしたこの国旗には、その夢が込められています。
横に分割された4本の帯は4つの地域を象徴し、青はフランスとの友好と希望を、白は純粋さと理想を、緑は農業と富を、黄色は地下資源をあらわします。4地域が、愛国心をあらわす赤の縦帯で結びつけられ、星のシンボルで自由と独立を示しています。
中央アフリカ帝国の皇帝旗
こちらは、1976年〜79年の3年だけ存在した「中央アフリカ帝国」の皇帝旗です。
緑の地色に、黄色い太陽と翼を広げた鷲(ワシ)を置いたデザインの旗。ボガンダ大統領の死後、クーデターによって大統領になり独裁政治を始めたジャン・ベデル・ボカサによって制定されました。
独裁者となったボカサ大統領は、勝手に国名を「中央アフリカ帝国」とし、自ら「皇帝ボカサ1世」と名乗ります。さらに、ナポレオンにならって皇帝の戴冠式まで行い、その費用に国家予算の2倍を費やしました。結果、国家財政は底をついてしまい、世界の国々からは時代錯誤の極みだと評されました。
1979年にはフランスが介入。クーデターによりボカサの帝政は崩壊し、共和制が復活しました。
中央アフリカ共和国の国名について
この地がアフリカ大陸の中央に位置するため付けられた名。
中央アフリカ共和国の歴史
中央アフリカ共和国は、アフリカ大陸の中部にある高原状の内陸国です。長い間、定住民も稀にしかいない空白地で、本格的に住民が定着したのは19世紀前半、アラブ人による奴隷狩りを逃れて南下してきたスーダン系住民に始まるといいます。
1894年にフランス領となり、独立するまでの間は「ウバンギ・シャリ」と呼ばれていました。
- 19世紀半ばまで、部族の首長国が並び立っていた。
- 19世紀後半にフランスが進出し、1894年に植民地とし、1910年にフランス領赤道アフリカの一部とした。
- 第二次世界大戦後の1960年、独立を果たし、中央アフリカ共和国となる。
- 1965年、ボカサ参謀総長がクーデターを起こし実験を握り、1976年、国名を中央アフリカ帝国に変え、自ら皇帝を名乗って独裁政治を行った。
- 1979年、クーデターによりボカサは失脚。1981年、コリンバ参謀総長が実験を握り、一党体制を進める。1993年、中央アフリカ人民解放運動のパタセが大統領に。2003年のクーデターで、ボジセ元国軍参謀長が大統領に就任。
- 2013年、反政府武装勢力のセレカが首都を制圧し、イスラム教徒のジョトディアが大統領になるが、その後も混乱は続いている。
中央アフリカ共和国の国データ
正式名称 | 中央アフリカ共和国 |
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英語表記 | Central African Republic |
漢字表記 | 中央亜弗利加 |
首都 | バンギ |
略号 | CAF |
面積 | 62万3000㎢(日本の約1.7倍) |
人口 | 467万人 |
通貨 | CFAフラン |
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言語 | フランス語、サンゴ語、部族語 |
民族 | バンダ族、バヤ族、サラ族、ヤコマ族、サンゴ族、バカ族、ピグミー族など |
宗教 | キリスト教、イスラム教、伝統宗教 |
独立年 | 1960年にフランスから独立 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 3人 |