カメルーン
国旗のデザインの由来
カメルーンの国旗は、かつての宗主国フランスの三色旗を手本に、エチオピア国旗にならった汎アフリカ色を使った旗です。緑は南部の豊かな森林、赤は南北の団結、黄色は北部のサバンナをあらわしています。
カメルーンの国旗の歴史
カメルーンは、19世紀の末にはドイツの領土になっていましたが、第一次世界大戦後、戦勝国のフランス、イギリスによって2つに分けられ支配されることになりました。
第二次世界大戦後、アフリカ大陸で17の国が独立し「アフリカの年」と呼ばれた1960年、フランス領のカメルーン東部がカメルーン共和国として独立します。
フランス領時代の政党「アフリカ民主連合」の党旗にもとづき、1957年から使用されていた旗が国旗が制定されました。
2つに分かれたカメルーンが再び1つになったのは1961年のことです。
イギリス領のカメルーンで住民投票が行われました。そして、北部はナイジェリアと合併するものの、南部はカメルーン共和国と合併することになり、カメルーン連邦共和国ができました。
左上に、旧英仏両地域の融和をあらわす2個の五角星が描かれた国旗。この旗は、1972年に連邦制が廃止され、単一国家になった後のカメルーン連合共和国でも継続して使われました。
そして1975年、国旗の星が1つになり中央に置かれ、現在の国旗となります。
1984年には国名をカメルーン共和国に変更しました。
カメルーンの国名について
15世紀にポルトガル人がこの地に立ち寄った時、ウーリ川の河口に大量のエビがいたことから、「リオ・ドス・カマローネス(エビの川)」と読んだことに由来する。
カメルーンの歴史
- 9世紀頃、北部にカネム・ボルヌ王国が成立。
- 15世紀末、ポルトガル人が来航し、奴隷貿易を始めた。続いてオランダ、イギリスも奴隷貿易に参加。
- 1884年にはドイツが内陸部に進出し、諸部族の首長と保護条約を結んでゴムやカカオのプランテーションをはじめ、道路や鉄道も作った。
- 第一次世界大戦後の1922年、東部がフランスの、西部がイギリスの委任統治領となった。
- 第二次世界大戦後、1960年にフランス領の東カメルーンが独立、翌年にイギリス領の西カメルーンの南部と合体して連邦制に。
- 1972年、連邦制から単一のカメルーン連合共和国になり、1984年に国名をカメルーン共和国に改めた。
- 250もの民族を抱え、宗教の対立もあり政情は不安定。
カメルーンの国データ
正式名称 | カメルーン共和国 |
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英語表記 | Republic of Cameroon |
漢字表記 | 夏麦論 |
首都 | ヤウンデ |
略号 | CMR |
面積 | 47万5440㎢(日本の約1.3倍) |
人口 | 2521万人 |
通貨 | CFAフラン |
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言語 | フランス語 |
民族 | ドゥアラ族、バミレケ族、バムン族、フルベ族、他 |
宗教 | キリスト教(カトリック、プロテスタント)、イスラム教、自然崇拝など |
独立年 | 1960年にフランスから独立 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 127人 |