アンゴラ
国旗のデザインの意味と由来
アンゴラの国旗には、黄色い星のついた歯車と山刀(やまがたな)がデザインされています。ぱっと見ると、歯車と山刀の取り合わせが、旧ソ連の鎌と槌(つち)によく似ています。これは、1975年の独立当時、旧ソ連をモデルに社会主義国家として発展しようという理想があったからです。
歯車は労働者と工業生産、山刀は農民と農業生産そして武力闘争を示し、星も社会主義の象徴として描かれました。赤は独立闘争で流された血を、黒はアフリカ大陸、黄色は豊かな資源をあらわします。
しかし、旧ソ連が崩壊する直前の1990年、アンゴラは社会主義を放棄しました。そして星は社会主義の象徴から、国際的な団結と進歩をあらわすと変更されました。
長く続いた内戦が集結した2003年、アンゴラ国民議会の憲法委員会によって新しい国旗が提案されましたが、まだ採用にはいたっていません。
国章も社会主義国らしいデザイン。青地を背景に、中央に労働と武力闘争をあらわす鍬(くわ)と山刀、上部に黄色の星、下部に新しい国をあらわす日の出、教育や文化をしめす開かれた本、周囲に労働者と工業をあらわす歯車、農民と農業をあらわす綿花の葉、コーヒーの葉、トウモロコシのリースを配した円形紋章。下のリボンには国名が記されています。
アンゴラの国名について
16世紀まで栄えたンドンゴ王国の君主の称号「ンゴラ(大王)」に由来する。
かつて、この国を支配していた「バンツー・ンゴラ(バントゥー族の王)」という王の称号「ンゴラ」に由来する。
アンゴラの歴史
アンゴラはアフリカ南西部に位置する国で、ポルトガルからの独立闘争を経て独立を達成しました。
しかし、米ソ冷戦時代はその代理戦争の場として、それ以降は2002年まで諸勢力による武力闘争の内戦が繰り返されました。1970年代に内戦に勝利したアンゴラ解放人民運動(MPLA)は社会主義を掲げていましたが、これを支持するソ連が崩壊したため、社会主義路線を変更しました。
約30年間にわたる内戦により国が疲弊しましたが、石油やダイヤモンド等の鉱物資源に恵まれ、特に石油については、サハラ以南のアフリカでは最大の産油国です。一方、貧困問題も深刻で、世界で最も貧富の格差がある国の一つとも言われています。
- 14世紀頃、コンゴ王国の支配下にあった
- 1483年、ポルトガル人が到来が到来し、やがて海岸地方ではブラジル向けの奴隷貿易が行われた
- 1885年のベルリン会議でアンゴラはポルトガルの植民地とされ、強制労働によりダイヤモンド鉱山の採掘や鉄道の敷設など、内陸の開発が進められた
- 1951年、ポルトガルの海外州となり、本国との一体化が進む
- 1956年にアンゴラ解放人民運動(MPLA)が、1966年にはアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)が結成される
- 1975年、MPLAが独立を宣言。しかし、アメリカと南アフリカが支援するUNITAと、旧ソ連とキューバが支援するMPLAのあいだで内戦に突入し、1988年に停戦協定が結ばれた
- 1992年、国名をアンゴラ共和国と改めたが、再び内戦になる
- 2002年、27年ぶりに和平が成立した
アンゴラの国データ
正式名称 | アンゴラ共和国 |
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英語表記 | Republic of Angola |
漢字表記 | 諳喀剌 |
首都 | ルアンダ |
略号 | AGO |
面積 | 124万7000㎢(日本の約3.3倍) |
人口 | 3080万人 |
通貨 | クワンザ |
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言語 | ポルトガル語、ウンブンドゥ語など |
民族 | オヴィンブンドゥ族、キンブンドゥ族、バコンゴ族など |
宗教 | 伝統宗教、キリスト教(カトリック、プロテスタント) |
独立年 | 1975年にポルトガルから独立 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 34人 |