アルジェリア
国旗のデザインの意味と由来
新月と星はオスマン帝国以来、イスラム教の国々で使われてきたシンボルです。赤は独立運動で流された血を、緑はイスラムの色であると同時に勇気と繁栄を、白は純潔と平和をそれぞれあらわします。フランスからの独立解放運動の旗印となった旗で、独立運動の指導者メッサリ・ハジの妻であるエミリー・バスクァントが最終的な形を設計したといわれています。
アルジェリアは独立を達成すると、国旗の詳細を記したパンフレットを各国語で作成し、広くアピールしました。国旗の赤と緑の色調は光学上の波長を用いて数値で規定してあり、このような規定は他に例を見ません。また、三日月(新月)の形や星との位置関係などの幾何学的作図法も細かく規定されています。
アルジェリア国旗のデザイン規定
こちらはアルジェリアの国章。赤い新月と星の右側に白い投票箱、中央に工業をあらわす煙突を持つ建物、農業をあらわすヤシの葉、オリーブの葉、樫の葉、小麦、オリーブの枝野上にムハンマドの末娘であるファティマの手、背後にアトラス山脈と日の出、周囲に赤字でアラビア語の国名が記されています。
アルジェリアの国名について
アルジェリアは現地では「ジャザーイル」と呼ばれている。アラビア語で「アル・ジャザーイル(島々)」という言葉で、地中海からアルジェリアの国土を見ると入江や川で区切られ、無数の島のように見えることに由来する。「〜の国」という意味を持つ地名接尾語「-ia」が付き、国名となった。
アルジェリアの歴史
アルジェリアは、地中海に面した北アフリカのマグリブ地方にある国で、国土の南部には有名なサハラ砂漠があります。
(マグリブとは、北アフリカ北西部に位置するアラブ・イスラムの国々のこと。モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア、モーリタニア。また、ムスリムの一日五回の礼拝で、日没時に行われる礼拝を指す言葉でもある)
1830年、オルレアン朝ルイ・フィリップの治下でフランス領となり、130年にわたる対仏抗争の末、1962年に独立を果たしました。
- 紀元前8世紀頃、フェニキア人のカルタゴの支配下に置かれ、紀元前2世紀にはローマの属州となる
- 8世紀にアラブ人が侵入し、先住民のベルベル人の間にイスラム教が広まった
- その後、イスラム王朝が何代か続き、16世紀にオスマン帝国の支配下におかれる
- 1830年、フランスの植民地となり、キリスト教が布教される
- 1954年、民族解放戦線が結成されて独立戦争がはじまる
- 1962年、独立。社会主義体制が敷かれた
- 1991年、総選挙で急進的なイスラム勢力が圧勝し、軍と衝突するなど国内情勢は悪化
- 2011年、19年ぶりに非常事態宣言が解かれ、翌年の総選挙で安定に向かった
- 2013年、石油天然ガスプラントがイスラム過激派勢力に襲撃され、多くの犠牲者を出した
アルジェリアの国データ
正式名称 | アルジェリア民主人民共和国 |
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英語表記 | People's Democratic Republic of Algeria |
漢字表記 | 阿爾及 |
首都 | アルジェ |
略号 | DZA |
面積 | 238万㎢(日本の約6.3倍) |
人口 | 4220万人 |
通貨 | アルジェリアン・ディナール |
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言語 | アラビア語、ベルベル語、フランス語 |
民族 | アカン族、ガ族、エベ族、ダゴンバ族、マンプルシ族など |
宗教 | イスラム教(スンニ派) |
独立年 | 1962年頃にフランスから独立 |
国旗の比率 | 2:3 |
在留邦人数 | 89人 |